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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.259c

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一語履歴 vol.260
山田無文老師 260a老子講義録 260b鉄道自体が 260c八木重吉の詩
一語履歴 vol.259
大切な知恵 259a人間愛 259b本当の自分 259cお恵みの一部でも
一語履歴 vol.258
日本の運命 258a宝物ファイル 258b森信三 258c幸せ発信地
一語履歴 vol.257
財政再建 257a人の三倍 257bはちみつ 257cお客さん
一語履歴 vol.256
ソクラテス問題 256a卑しい仕事 256b日本の 256cなごやかさによりて
一語履歴 vol.255
あの時 255a商品がある 255bお店が必要 255c二宮尊徳の教え
一語履歴 vol.254
リーダーの資質 254aこの4年間 254b「よし」 254c自分に対して
一語履歴 vol.253
鍵山秀三郎 253a黒だよな 253b自己の指名 253C師を必要とする
一語履歴 vol.252
命は深い 252a作家として 252bお店を繁盛 252c国家の柱石
一語履歴 vol.251
東洋や西洋 251a日本の心学 251b何気ない言葉 251cハートが
お恵みの一部でも

聖路加国際病院名誉院長の
日野原重明先生が
105歳の天寿を全うされました。

人生は順逆の連続という。
順逆をこえるとは、
順境にも逆境にも負けない
自分を創るということである。

日野原先生の100年の人生にも、
順境逆境は繰り返されたろう。
それをこえ、
いまなお使命に
生きておられるお姿には
神々しさがある。
1970年、
日航機よど号ハイジャック事件があった。

日野原先生はその機中にいた。

58歳だった。

事件四日目、乗客は全員無事、
韓国・金浦空港で解放された。

靴底で大地を踏みしめると、
「無事地上に生還した」の思いが膨らみ、
これからの人生は与えられたもの、
人のために生きよう、という決意に
繋がっていったという。
 
帰国した日野原先生を、
1,000人を超す人たちからのお見舞いや
お花が待っていた。
その礼状に奥さまが書き添えられた。

「いつの日か、いづこの場所かで、
 どなたかにこの受けました
 大きなお恵みの一部でも
 お返し出来ればと願っております」

この言葉が日野原先生
第二の人生の指針となった。
 
昨年末、NHKテレビで
日野原先生の
ドキュメンタリー番組が放映された。

インフルエンザで
39度の熱がありながら、
子供たちとの約束だから、
と地方講演に向かわれる姿を
テレビは映し出していた。

その先生が作られた俳句がある。
   
100歳はゴールではなく関所だよ。
 
2017.07.20

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