過去の一語履歴を見ることが出来ます。
置かれたポジションで全力投球する 遠山敦子(トヨタ財団理事長) 小泉内閣で民間初の文部科学大臣として活躍し、 現在は、トヨタ財団やパナソニック教育財団の 理事長を務めている遠山敦子さん。 女性への門戸がまだ開かれていなかった時代に、 文部省へ入省し、初の女性キャリアとして、数々の成果を挙げてきました。 ――仕事に手応えを感じられるようになったのはいつ頃からですか。 自らミッションを見つけて仕事をやり始めたのは、 入省から15年後、初めて課長になってからです。 ある意味、壮大な計画を立てまして、 それはいまも動いているんですよ。 いまから35年も前のことですが、 情報図書館課長となった時、 学術情報の全国的なシステムをつくろうという構想を立てました。 本来、研究者は世界の学術研究の成果を きちんと踏まえた上で研究を進めないと、 第一線の研究はできません。 ところが、当時の日本では海外の情報となると 簡単に入手できませんでした。 一方で各大学の図書館の書誌情報の整理も未発達でした。 そこでこれら二つの仕事を、 コンピュータのネットワークで結んで国際的なデータベースに アクセスできるシステムはできないかと考えましてね。 まだコンピュータネットワークがほとんど発達していない頃でしたが、 専門家の意見もお聞きしながら構想を練りました。 いまでは国立情報学研究所を介して、 日本の研究者はデスクのパソコンから 第一線の学術研究の成果にアクセスできるようになっていますし、 大学図書館のデータ処理もコンピュータ利用にかわられました。 ――省庁というと前例踏襲傾向にあると思うのですが、 それをどう乗り越えられたのですか。 ものすごく考えました。 私は困難に出遭う時は、 他のこともやりながらずっと考え続けるんです。 するとある時、これはこうしたらいいと パッと思いつくわけです。 そうしたら今度はそのアイデアが熟するまで いろいろな方の意見をお聞きして、 きちんとした計画が頭の中にできあがったら、 あとは説得して回ると。 私はその課に3年間おりまして、 本当はもっとやりたかったのですが そうもいかずに別の課に移りました。 完成するまでにはさらに10年くらいかかっていますが、 その萌芽をつくり上げたところで、 後の人に譲ったことになりますね。 ――短い期間で道をつくられたと。 なぜできたのかというと、 根本にあったのはやはり責任感でしょうか。 あるポジションを与えられたら、 そのポジションにその時にいるのは自分だけですよね。 権限や機会も与えられているわけですから、 一番難しいことは何かを見つけ、 それを実行していくことが、 そのポジションを与えられた者の責任だと考えてきました。 特に私の場合、あまり前例に囚われないタイプですから、 周囲からは随分いろいろなことを言われましたが、 ある時点からそれが全力投球するに値するのであれば、 他人にどう思われようが周囲の人を説得してでもやろうと 考えることにしたんです。 要は発想の転換をしたわけですね。 問題にぶつかっても逃げることなく、 責任感を持って、実現するまで努力すると。 でも、それはあとになって言えることでして、 その当時はいつも無我夢中で四苦八苦して取り組んでいただけです。 |
2015.06.13 |
〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日