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自己を習うというは自己を忘るるなり 境野勝悟(東洋思想家) 東洋思想家として知られ、日本の伝統文化にも造詣の深い境野勝悟さん。 長きにわたって人間教育の一道に生き、 これまで全く分からなかったけれども、 八十路を越えて初めて見えてくる世界があるといいます。 境野 まぁ僕は特別、目標を掲げて生きてきたわけではありませんが、 80歳になってよかったなと思うのは、 いままで分からなかったことが分かってきたんですよ。 堀 ほう。 境野 例えば、道元なんていう人の本が 僕には全然分からなかった。 大学院まで行って、坐禅の修行にも打ち込んだのに 70代まではいくらやっても分からない。 それが80になると分かってきた。 『源氏物語』もそうですね。 原文で読んで解釈はできても、泣くことはなかったのが、 80を過ぎて泣けるようになった。 だから、僕のお弟子さんたちには 「これから俺を捨てるなよ。捨てると損だぞ」 と言っているんですけどね(笑)。 堀 僕は仏教にはそれほど詳しくないんだけど、 道元のどういうところが分かってきましたか。 境野 道元の有名な言葉に、 「仏道を習うというは自己を習うなり。 自己を習うというは自己を忘るるなり」 とあるんです。 この「自己を習うというは自己を忘るるなり」が どうしても分からなかった。 だって忘れたら何も習えないわけでしょう。 その答えが道元の書物のどこにも書いてない。 だけど80歳になって 「ああ、そうか」と思うようになったんですよ。 つまり、これは頭で覚えている世間の規範だとか、 善し悪しといったものを忘れろという意味なんだと。 80歳までの僕は、人にけなされないように生きようとか、 人に笑われないようにしようとか、 そういうことを考えながら自分を鍛えてきた。 それは悪いことではないと思うんだけど、 長いことやっていると、自分の心が自由にならないんですね。 堀 なるほど。 境野 つまり生きていてよかった、という本心からの喜びではなく、 周囲から見られるための自分がいつの間にか形づくられていて、 本当の自分は眠ったままになっている。 そのことに気づいたんです。 すると、不思議なことに自分はどう思われてもいいじゃないか、 どうせ学校では大して勉強したわけではないし、 という思いが湧くようになりました。 だから、本当に自分らしく生きられるように なったのは80を過ぎてからですよ。 もし僕が中高大学とエリートで、 ものすごく勉強していたら80になっても 自分を捨てられなかったと思う。 自分を捨てられないと、体力もなくなり 能力も鈍った後に絶望的な老いになるんです。 |
2015.06.10 |
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