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どんな病でも私の人生は私がつくり上げていく 織田友理子(遠位型ミオパチー患者会代表代行) 遠位型ミオパチーは劣性遺伝なので 両親の両方から受け継いだ場合のみ、 子供に発現するものなんですね。 両親とも健常ですから、 「まさか自分の子供が……」 という驚きはあったと思います。 だから告知された時にまず思ったのは、 両親を悲しませたくないということでした。 私が自暴自棄になって両親を責めたり 自分の運命を嘆いたりしたら、 両親は自分たちの責任と思ってしまいます。 それにこの病気が私に降りかかってきたということは、 たぶん私がそれを乗り越えられるからだろうと。 ――当初から大変な現実を受け止められていたのですね。 どんな状況にあっても、 私の人生は、私が頭と心をフル回転させて つくり上げていくものだと思ってきました。 だから、ずっと目指してきた公認会計士の試験も 病気を理由に諦めたくなかったんですね。 病気を免罪符に勉強をやめたり、 休んだりすることが嫌で、 「続けたほうがいいよ」と言ってくれた人がいて、 凄く救われました。 まだ私、努力していいんだって。 病気だからそこまで頑張らなくていいとか、 そこまで努力をしても仕方がない というほうが傷つきましたね……。 努力したかったです。 ――病と闘いながら、大変難関な試験を 目指されていたのですね。 ただ、分厚い参考書を持つことや ペンを握る力も入らないことからも、 緩やかながらも病気が確実に 進行していることは実感していました。 試験には3回挑戦しましたが結果は不合格で、 24歳の時に一区切りつけることにしました。 そして、ちょうどこの後に 人生のターニングポイントを 迎えることになるんです。 ――刻々と進行する難病とともに生きてこられて、 支えになったことはなんでしたか。 何よりも家族ですよね。 そして、自分が病気になったことには 意味があると思ってきました。 1億2千何百万人もいる日本人の中で、 健常者だけれども同じ染色体に異変を持っている 私の両親が巡り合って結ばれて、 両方から異常の遺伝子を受け継いだ。 そう考えるとこの病気の発症率は 天文学的な数字になるわけで、 「たまたま」とか「まぐれ」ではなく、 必然性を持って巡り合ったのではないかと。 だからこそ、自分には使命があるんだと 思って生きてきたのです。 |
2013.12.12 |
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