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学ぶことと考えることのバランス 安岡定子(安岡活学塾 銀座・寺子屋こども論語塾専任講師) 子曰(しのたま)わく、 学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、 思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し 最近、中学校の国語の教科書を開いていたら、 この章句を見つけました。 「学び」がテーマとなった章句なので、 中学生も興味が持ちやすいという狙いで紹介されたのでしょうか。 章句を訳すと、 「人から学んだだけで、自分でよく考えてみることをしないと、 何もはっきりとは分からない。 一人で考え込むだけで広く学ばなければ、 狭く偏ってしまう恐れがある」 という意味になります。 前段にある「罔し」は「暗し」と同じ読みですが、 意味は少し違います。 多くの場合、「暗し」が物理的な明るさを 基準にしているのに対して、 「罔し」は物の輪郭がぼんやりしてはっきり見えない様を言います。 なんとなく雰囲気は捉えているけれども、 完璧には捉え切れていない。そういう状態です。 後段の「殆し」は自分の考えに 凝り固まってしまうことの危うさを示す言葉です。 この章句は学校の勉強に例えたら分かりやすいと思います。 先生の授業を聞いて黒板の文字をノートに写し取り、 その場で練習問題を解いたりすると、 なんとなく分かったような感覚になります。 これが「罔し」です。 もちろんそれだけでは不十分ですから、 知識を本当に自分のものにしたいと思うなら、 家に帰って復習をしなくてはいけません。 一方で、いろいろなことに興味を持って 「宇宙の仕組みはどうなっているのだろう」 「人間はどう生きたらいいのだろう」と 考えを巡らすのは楽しいし、それ自体はいいことです。 しかし、これも実際に人や書物に学ぶことをしないと、 何も身につかないままで終わってしまうのです。 時として独りよがりな考えに陥る危険性もあります。 ここで大切なのは「学ぶこと」と「考えること」は どちらも同じくらいに大切だという点です。 そこには少しの優劣もありません。 しかし、『論語』を読んでいくと、 時に「おやっ」と思うような章句にぶつかることがあります。 子曰わく、吾嘗(われかつ)て終日食(くら)わず、 終日寝(い)ねず、以て思う。 益無(えきな)し。学ぶに如(し)かざるなり。 (先生が言われた。「私はかつて一日中食べず、 また一晩中寝ずに考えたが、得るところがなかった。 やはり、書を読み、師について学ぶのには及ばないね」) |
2013.10.17 |
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