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自らに問い続けたこと 企業再建の名手・村井勉 東洋工業(マツダ)、アサヒビールの経営再建に尽力、 組織変革を成功させた後、 国鉄の分割民営化によって設立された JR西日本の経営改革に取り組み、 企業再建の名手と謳われた村井勉氏。 人を看るにはただ後の半截(はんさい)を看よ、という言葉がある。 人生の後半をどう生きるか。 それによってその人物が分かるということだろう。 その人生の後半を危機に瀕した企業を 再建すべく全力を尽くした人がいた。 村井勉さんである。 村井さんが住友銀行常務から東洋工業(現マツダ)副社長に 転じたのは昭和五十一年、五十七歳の時だった。 初めて出社した村井さんを迎えたのは、 約一万人の労組員が叫ぶ 「銀行屋が何しにきた」「帰れ!」 のシュプレヒコールだったという。 村井さんは現場主義である。 現場を回って虚心に従業員と話し合い、人心掌握に努めた。 製造部門の五千人をセールスに回すという改革も断行した。 その中から醸成された社員のやる気が、 ファミリアというヒットの誕生に結びついた。 東洋工業が甦ったのは四年後のことである。 その二年後の昭和五十七年、今度はアサヒビール社長に就任する。 当時のアサヒビールは三十六%あったシェアを十%近くまで落とし、 どん底にあった。 開発は営業の努力不足を、 営業は開発の商品開発力のなさを 互いに責めなじり合う空気が蔓延していた。 ここでも村井さんは現場主義を貫く。 約八百店ある特約店を残らず訪問した。 社内では開発と営業の垣根を取り払って 開発プロジェクトを結成。 またミドルクラスの社員を対象に読書会を開いた。 そこで村井さんが説き続けたのは、 「企業は常勝集団たれ」 「情熱を持ち続けよ」 「努力は必ず誰かが見ている」 の三点だった。 感奮した社員の活力が空前のヒットとなる アサヒスーパードライを生み出す。 だが、開発済みのこの商品を村井さんは、 後を継いだ同じ住友銀行出身の 樋口廣太郎さんの登場に合わせて発売、 新社長誕生と共に上昇の軌道に乗せる路線を敷いたのである。 その二か月後の昭和六十二年、 村井さんは民営化したばかりのJR西日本会長に就く。 ここでも現場主義だった。 駅々を巡り、汚れたトイレや接客業とは思えない 駅員の態度など旧弊に染まった状態に接し、村井さんは 「私たち全員が新入社員である。 過去を断ち切って新しい社風をつくろう」 と全社に呼びかけ、企業理念の策定に全力を傾ける。 「運輸業ではなく総合サービス業」 「お客様と感動を共有する企業」 への脱皮である。 ここでもミドルクラスを対象に読書会を開き、 それを軸に企業理念の浸透を図る。 数字に表れる業績の向上に社内は活力に溢れていった。 企業再建を果たした名経営者は多い。 しかし三社ともなると、稀有と言う外はない。 村井さんは活力づくりの名手というべきだろう。 1、起業家精神を持たせる。 2、情報に対する鋭い感性を涵養する。 3、自分は企業躍進の原動力という自覚を持たせる。 この三点を核にして三十五歳を中心とした ミドルクラスをチェンジリーダーへ変えていくのが 活性化のポイントだった、と村井さんは言う。 同時に、自らに向かって問い続けたともいう。 「いまという環境をあなたは一所懸命に生きているか」 「あなたはどれだけの情熱を持って生きているか」 ――と。 |
2013.11.29 |
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