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『修身教授録』 第三講/生をこの国土にうけて われわれは、生をこの国土にうけたことを、 非常な幸せと言うべきにもかかわらず、 われわれはその日々の生活においては、 とかくこの点がおろそかになりがちで、 ほとんどそれと気づかずに日を送っているわけです。 それというのも、それはいわば空気のようなもので、 われわれは一日として、否、一刻といえども、 空気なしには生きられないにもかかわらず、 空気のことを意識することは、 ほとんどないというにも似ていましょう。 あるいはまたそれは、食物に似ているとも言えましょう。 というのも、われわれは平生日に三度の食事を欠くことは 滅多にないために、食事をするごとに、 自分はこの一粒の飯によって、わが生命を支えられているんだ、 というような感謝の念は容易に持ちにくいわけです。 ところが何かのつごうで、仮に一食でも食事の欠ける ような場合には、非常にひもじがり、さらには 「こんなにしてこれで身体に障らねばよいが──」 などと案じるのです。いわんや二度、三度と 欠けるようなことでもあれば、それこそ 「もうこれで自分も死ぬのではあるまいか」 などと思うようになるのです。 ところが、それ程でありながら、平生は、 こんなことは夢にも考えないで、うまいのまずいのと ぜいたくばかり並べているのです。 このようにわれわれは、平素自分がうけている 恩恵については、その程度の深いものほど、 かえって容易に気付きがたいのが常であります。 それはちょうどわが顔は、自分に最も近いにもかかわらず、 あまりの近さ故に、かえって平生それと気付かずに いるのと同様だと言えましょう。実際この地上に、 自分の顔を見た者はかつて一人もないのであって、 自分の顔と思っているのは、いずれも鏡に写った 影にすぎないわけです。 |
2019.04.16 |
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