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リーダーの役目とはいったい何なのか。 その一つの答えを、松下幸之助さんは 自らの経営を通じて実践されてきました。 山下 俊彦(松下電器産業相談役) 松下幸之助が9歳で小学校を辞め、 故郷の和歌山から大阪に奉公に出てきて、 やがて電燈会社の見習工になり、 二股ソケットを考えたことはよく知られています。 そして、22歳のときに体をこわして勤めを辞め、 二股ソケットを作る仕事を始める。これもよく知られた話です。 二股ソケットはよく売れ、小学校を出た 13~14歳の子供たちを雇います。 従業員が2年後には10人、4年後には50人になりました。 自分が生活するために始めた仕事が、気がつくと、 人を使う身になっていたわけです。 松下幸之助は自分が大阪に出てきたころと引き比べ、 この子供たちは満足しているだろうかと考えました。 電燈会社に勤めたとき、自分は非常に嬉しく思い、 よい気持ちで働くことができた。 それは会社が安定していて、安心できたからです。 だが、工場の主人である自分は小学校だけで、しかも病弱。 これでは従業員が安心できるわけがありません。 従業員が気持ちよく働けるようにするにはどうしたらいいか。 松下幸之助は一生懸命考えて、一人ひとりに声をかけ、 長所をつかみ、それを褒めて伸ばしてやるように心がけました。 すると、従業員が生き生きとして、目の色が違ってきました。 しかし、これは難しいことです、人の欠点はいくらでも 目につきますが、長所はともすれば埋もれていて、 それを見つけ、掘り起こしするのはなかなかできないものです。 10年後、従業員は300人になりました。 自転車のランプや電気アイロンも作るようになり、 どれもよく売れ、生産が追いつかないほどでした。 しかしその間、松下幸之助がもっとも意を注いで 集中したのは利益向上でも増産でもなく、 全従業員の長所を引き出して褒めることでした。 すると期せずして、それが従業員にやる気を起こさせ、 利益や能率の向上につながっていったのです。 さらにその10年後、従業員数は4,500人になりまし た。こうなると、全員の性格をつかむなどは不可能です。 それでも松下幸之助は目の届く限り、 褒めて長所を伸ばす心がけを怠りませんでした。 リーダーとして松下幸之助がもっとも専心したのは このことだった、といっても過言ではありません。 「従業員を幸福にし、仕事に生き甲斐が感じられるようにする。 これが経営者の何よりの務めだ」 |
2019/03/28 |
五木 寛之(作家) × 横田 南嶺(円覚寺管長) 【五木】 世の中が流転していく中では 次々と新しい才能も登場してきます。 最近では、例えばフィギュアスケートで 羽生結弦という非常に優秀な人が出てきて人気を博しています。 その羽生選手が「努力はウソをつく。 でも無駄にはならない」と言っていました。 必ずしも報われるとは限らないけれども、 努力はすべきであるという含みを持った発言ですよね。 あの羽生選手でも、時にはやったことが 全部無駄だったという挫折もあるのかと思って、 この言葉はとても印象に残っているんです。 【横田】 あの若さでよくそういう言葉が出てくるものですね。 やっぱり一つの道を突き詰めていく人は違いますね。 【五木】 いや厳しいですよ、この発言は(笑)。 僕自身を顧みてみますと、幸運などというものは ないといつも思っているんです。 ネガティブ・シンキングと思われるかもしれませんが(笑)、 人はどのみち百年もすれば土に還る。 |
2019/03/28 |
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