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イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が 40余年にわたり積み重ねてきた掃除を通して、 「平凡を非凡に努めること」が説かれた本書は、 10万部を超えるベストセラーとなりました。 ………………………………… 日々の試練に耐えることは 宗教的苦行より価値がある ………………………………… 人から不可能だと言われるような 常識外れのことに挑戦しようとすると、 必ずいろんな壁が立ちはだかります。 ドイツの哲学者、ショーペンハウエルは、 何事かをやり始めて成功するまでには 3段階あると言っています。 第1段階は笑い者になる、嘲笑される。 第2段階は激しい反対、抵抗を受ける。 第3段階にして成功を遂げることが できるというのです。 確かに私もそうした経験を たくさんしてまいりました。 創業当初は、十分な労働環境を 整えることができませんでした。 それでも社員たちには、何とか心を荒ませずに 働いてほしい一心で、せめて身の回りの環境を 美しくしようと考えて職場の掃除を始めました。 その活動はたった一人で始めたことであり、 誰に命じたものでもないのですが、 十年を過ぎた頃から一人、二人と手伝うようになり、 やがて会社の枠を超えて全国に広まり、 いまでは北京、台湾、ルーマニア、イタリアなど、 海外にまで広まっています。 ところが掃除を始めた頃には、 「そんなことしかできないのか」 と散々馬鹿にされ、嘲笑されました。 企業研究で当社を訪れたある有名大学の先生からは 「あなたは社長を替わったほうがいいですよ」 とまで言われる始末でした。 私は、ショーペンハウエルのような 偉大な哲学者でさえ嘲笑や抵抗に遭うのであれば、 自分のような凡人がそういう目に遭うのは 当たり前だと考え、それに耐えて 今日を築いてまいりました。 いまは耐えることの大切さを 深く実感しておりますし、 嘲笑や抵抗に耐えられる忍耐心が 自分に備わっていたことを、 本当に幸せに思っております。 仏教に、 「忍の徳たること、 持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」 という教えがあります。 持戒苦行というのは、 例えば千日回峰行のようなお坊さんの 命懸けの厳しい修行のことを言いますが、 日々体験するいろんなことを我慢する、 耐えるということは、そうした宗教的な苦行も 及ばないくらいに尊い修行であるということです。 私は幸いにして、能なしであったがゆえに 耐えることができたんですね。 これまでいろんな辱めにあってきましたけれども、 もし幾らかの才能があったら とても我慢できなかったでしょう。 逆に、中途半端な才能なんか 持っていなくてよかったと思うくらいです。 創業時には、商品を売りに行っても まず相手にしてもらえることはありませんでした。 名刺も受け取ってくれない。 取ってくれたと思うと目の前で破り捨てられる。 バケツの水をかけられる。 自転車を蹴倒され、積んでいた商品が そこら中に散乱してしまったこともあります。 それでも私は耐えました。 だから今日こうして健全でおられるわけです。 もしあの時に私が腹を立てて行く先々で 喧嘩をしていれば、きょう皆さんの前に 立つことはできなかったでしょう。 皆さんも 「忍の徳たること、 持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」 という教えを、ぜひとも 心に刻んでいただきたいと思います。 |
2019/06/06 |
1300年の歴史の中で、 大峰千日回峰行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨。 (塩沼) 生きるか死ぬかの瀬戸際を体験すると、 少し人生観が変わると言われます。 その後に書き綴った日誌も少し変化が出てきました。 「563日、人はみな平等であると思います。 この地球に生まれ、空気も、水も、光も、 平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。 夜空の星の数は、人間が一生かかっても数え切れないほどあると言います。 それを考えたならば、もっと心豊かに生きなければならないと思いました。 自分の胸に手をやれば心臓が動いています。 しかし、永遠に動いていることがないと思えば、 人生という与えられし一生を大切に生きられるはずです。 自分を大切にするように、相手を尊重するということも忘れてはいけないと思います。 思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。 朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、 たった1人の山にいると、こんなことを考えてしまいます。」 お坊さんになったばかりの頃、お師匠さんが言われました。 「自分を大切にしてほしかったら、まず目の前の相手を尊重しなさい。 相手を尊重することによって自分が尊重されるんだ。 求めるより与える。これを実践していかなければならない。 そのためには4つやることがある」 その4つとは「一に勤行、二に掃除、三に追従、四に阿呆」です。 これは皆さんの生活にも当てはまることではないでしょうか。 お坊さんの修行と皆さんの修行、 人生の修行と考えてみれば通ずるものがあるように思います。 まず勤行。お坊さんは毎日勤行をしますが、 誰にでも毎日やらなければならないことがあるでしょう。 そして身の回りの整理整頓。自分を管理できなければいい仕事はできません。 3つ目の追従とは相手の喜ぶことをしなさい。 喜ぶことを言いなさいということ。 相手に不快な思いをさせない、 自分の苦しみの矛先を向けないということも大事です。 ここまでは分かるのですが、最後の阿呆が難しい。 お師匠さんも「人間は相手から嫌なことを言われるかもしれない。 嫌な仕事を与えられるかもしれない。 けれども、すべてのことに捉われてはいけない。 すべて忘れ切り、捨て切り、許し切り、阿呆になり切る。 これがなかなかなれんのや」と言われました。 修行をしている時、足もとに咲いている花に癒やされました。 誰に見られるとも意識しないで咲いている。 隣にどんな綺麗な花が咲いていようとも嫉まない。 ちゃんと根っこを張って努力をしながら、 綺麗な笑顔を天に向かって咲かせている。 誰にアピールするわけでもなく、ただなすべきことを自然になしています。 自分自身は周りの人に対してこの花のようであっただろうか。 そう思った時、そうではない自分がいました。 しかし、心のわだかまりを妥協という形で収めてみても解決にはなりません。 心の奥底から解決しないと何も意味はありません。 どんなものも受け止められる大きな心の器があるかないかです。 |
2019/06/06 |
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