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受け止められる大きな心の器 1300年の歴史の中で、 大峰千日回峰行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨。 (塩沼) 生きるか死ぬかの瀬戸際を体験すると、 少し人生観が変わると言われます。 その後に書き綴った日誌も少し変化が出てきました。 「563日、人はみな平等であると思います。 この地球に生まれ、空気も、水も、光も、 平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。 夜空の星の数は、人間が一生かかっても数え切れないほどあると言います。 それを考えたならば、もっと心豊かに生きなければならないと思いました。 自分の胸に手をやれば心臓が動いています。 しかし、永遠に動いていることがないと思えば、 人生という与えられし一生を大切に生きられるはずです。 自分を大切にするように、相手を尊重するということも忘れてはいけないと思います。 思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。 朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、 たった1人の山にいると、こんなことを考えてしまいます。」 お坊さんになったばかりの頃、お師匠さんが言われました。 「自分を大切にしてほしかったら、まず目の前の相手を尊重しなさい。 相手を尊重することによって自分が尊重されるんだ。 求めるより与える。これを実践していかなければならない。 そのためには4つやることがある」 その4つとは「一に勤行、二に掃除、三に追従、四に阿呆」です。 これは皆さんの生活にも当てはまることではないでしょうか。 お坊さんの修行と皆さんの修行、 人生の修行と考えてみれば通ずるものがあるように思います。 まず勤行。お坊さんは毎日勤行をしますが、 誰にでも毎日やらなければならないことがあるでしょう。 そして身の回りの整理整頓。自分を管理できなければいい仕事はできません。 3つ目の追従とは相手の喜ぶことをしなさい。 喜ぶことを言いなさいということ。 相手に不快な思いをさせない、 自分の苦しみの矛先を向けないということも大事です。 ここまでは分かるのですが、最後の阿呆が難しい。 お師匠さんも「人間は相手から嫌なことを言われるかもしれない。 嫌な仕事を与えられるかもしれない。 けれども、すべてのことに捉われてはいけない。 すべて忘れ切り、捨て切り、許し切り、阿呆になり切る。 これがなかなかなれんのや」と言われました。 修行をしている時、足もとに咲いている花に癒やされました。 誰に見られるとも意識しないで咲いている。 隣にどんな綺麗な花が咲いていようとも嫉まない。 ちゃんと根っこを張って努力をしながら、 綺麗な笑顔を天に向かって咲かせている。 誰にアピールするわけでもなく、ただなすべきことを自然になしています。 自分自身は周りの人に対してこの花のようであっただろうか。 そう思った時、そうではない自分がいました。 しかし、心のわだかまりを妥協という形で収めてみても解決にはなりません。 心の奥底から解決しないと何も意味はありません。 どんなものも受け止められる大きな心の器があるかないかです。 |
2019.06.06 |
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