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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.318b

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一語履歴 vol.320
軸をぶらさない 加齢は 320a苦が いつも全力で一所懸命
一語履歴 vol.319
教師の使命 319a自分の... 319b身から出た 319c足こぎ車いす
一語履歴 vol.318
ひたむきな努力 318a祖父の施し  318b適材適所 318c与えること
一語履歴 vol.317
命懸けの仕事 317a私のみるところ 317b考えるべき 317c公平
一語履歴 vol.316
この世の宝 心から来ている 人間も一人前 316a辛い出来事も
一語履歴 vol.315
裏切らないこと 315a朝の読書 315b人が嫌がる 315c人間の力は
一語履歴 vol.314
後から来る 314a湯ぶねの教訓 314bプロフェッショナル 314c叱って
一語履歴 vol.313
大豆100粒運動 313aよく見ましょう 313b覚悟を持とう 313c昇った日は
一語履歴 vol.312
諦めなかった道 312a人間の智慧 312bピンチは 312c一人の人間が
一語履歴 vol.311
我がこころの師 311a記憶は 311b人各々分有り 311cなお進まん
適材適所
      小早川隆景と武田信玄
      童門 冬二(作家)
      三戸岡 道夫(作家)

【三戸岡】
童門先生は長い間、歴史小説を書かれてきて、
いまどのような人物や逸話が心に響きますか。

【童門】
毛利元就の倅の小早川隆景は大変好きな武将の一人ですが、
その隆景が「すぐに分かったという人間に分かった例がない」
と言っているんです。上から命じられたことを
「分かりました」とただ犬のように従う部下は
やっぱり駄目なんですよ。命令には理不尽なものもありますから、
力を持っている部下であればきちんと聞き返して、
合意をしながら話を纏めていくことが求められます。

またそのことを上も心掛けなきゃいけない。
都庁時代にも「ああ分かった、分かった」
といい加減な返事をする上司がいましたが、
そういう人間には隆景の言葉を使って苦言を呈したりもしました。

【三戸岡】
それは現代にも通じる大切なことですね。

【童門】
隆景にはこういう話もあります。
武将が書いたとされる文章はだいたい口述で、
その多くは書記が書いたものなんです。
武将は最後に花押というサインだけをするものですが、
ある時、急ぎの文章を作成していた部下が慌てて筆が震え、
墨がポタポタと落ちるのを見た隆景は
「急ぐことほど落ち着いて書け」と諭します。

口述を書き留めているわけですから、
逆に言えば「急ぐことほど、ゆっくりと話せ」
と自分自身への戒めでもあったわけです。

これら隆景のいくつかの言葉は、
私自身に向けての戒めにもなっています。
 
もう一つ挙げれば、武田信玄の人間を見る視点ですね。
信玄は子供たちに軍談を聞かせるのが好きで、
その時の反応を見るんです。そうすると四通りに分かれる。

一人は話の内容に驚いて口を開けっ放しにして聞いている。
二人目は信玄の顔を見ないで肩の辺りに視線を据えて聞いている。
三人目は信玄の顔を見て、時々「ごもっともです」と頷いている。
四人目は話の途中に「ちょっと厠に行ってまいります」
と言って席を立っていなくなってしまう。

最初の子供は肝が小さくて話に圧倒されるタイプ、
三人目は相手に気を取られて話の中身に意識が向いていないタイプ。
四人目は自分にも思い当たるフシが
あっていたたまれなくなるタイプ。
それで信玄は一番頼りになるのは二人目の肩の辺りに
視線を据えて聞いているタイプだと考えるんです。

【三戸岡】
なるほど。

【童門】
ただ、信玄が偉かったのは、四つのタイプをそれぞれに
見合う使い方をしていることです。いわゆる適材適所ですね。
臆病者として知られる岩間大蔵左衛門は
合戦に行くのが絶対に嫌だった。馬に乗せても自分から落ちちゃう。
そこで信玄は拠点である躑躅ヶ崎館の留守番を命じるんです。

信玄が合戦から帰ると、館中がピカピカに磨かれていて
「どんな人間にも使い道がある」と思ったと
いわれていますが、これもなかなかいい話だと思います。
 
2018.09.28

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