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諦めなかった道は絶対に開く 井本 勝幸(日本ミャンマー未来会議代表) 鬼丸 昌也(テラ・ルネッサンス創設者) 約70近くも紛争状態が続いていた ミャンマーに単身乗り込み、和平実現への 道筋をつけられた井本勝幸さん。 その活動はまさに命懸けそのものでした。 【井本】 和平に至るまでの道のりは本当に大変でした。 各少数民族の中には、民族同士で統合したいという 同調者がいたので、そうした人物を介して 彼らの勢力地域に入っていくわけですが、 内戦が激しいところは特に命懸けでした。 向こうでは主に車で移動していたのですが、 時にはものすごい銃撃を受けるわけですよ。 そうすると運転手が怖気づいて、「引き返そう」 って弱音を吐くものだから、「引き返すな。 当たんねぇから、全速力で行け」って 進ませたから助かったこともありました。 【鬼丸】 すごい話ですね。 【井本】 結論から言えば、きっとそこまでのことを していなかったら、彼らの信頼を得ることは できなかったと思うんです。どの少数民族も 70年この方、ずっと身内を殺されてきた 者同士じゃないですか。私がいいことをしよう と言ったからって、「よし手を結ぼう」 なんてことにはならないんですよ。 私はほとんどすべての少数民族のところを回りましたし、 そこで彼らと同じ飯を食いながら、 「ああだ、こうだ」と話し合いを重ねました。 内戦の現場を彼らと一緒に駆け抜けたこともありましたけど、 彼らの信頼を得るのにはそれで十分だったと思いますね。 ただ、そうやって信頼を積み重ねていく中で ようやくできたUNFCが潰れかけた時期がありました。 UNFCの事務所はタイのチェンマイに置いていたのですが、 ミャンマー政府が我われの動きを嗅ぎつけて、 タイ政府の警察に乗り込ませたんです。 おかげで事務所が潰されて、 海外からの支援も一時途絶えてしまいました。 【鬼丸】 武装勢力のリーダーたちは動揺しませんでしたか? 【井本】 しましたね。弱音を吐くやつもいましたよ。 だから私は怒ってこう言いました。 「軍人のくせになんだその態度は」って。 「ここで諦めるんだったら死のう。俺も一緒に死ぬ。 それなら潔くっていいじゃないか」と言って、 彼らの前に短刀を差し出しました。 そうしたら、「井本、もう一回やろう」って言うんですよ。 「だったら弱音なんか吐くんじゃねぇ。 諦めなかった道は絶対に開くんだから頑張ろう」 って励まして、とにかく彼らに前を向かせました。 そういった修羅場は何度かありましたけど、 それらを全部乗り越えたからこそ、 2011年に単身乗り込んでいって、 その4年後にしてようやく政府との間で 和平交渉のテーブルに就くことができたんですよ。 |
2018.08.04 |
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