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「親を選んでくる子供たち」 池川明(池川クリニック院長) 胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば 「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、 生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。 最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、 空の上から綺麗なお母さんを選んできたって 話しているのを聞いた時です。 調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が 二十%、五人に一人いたんです。 おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、 オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった 疑問や反論も受けます。 わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。 こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、 これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、 敢えて虐待や中絶をされるために その親を選んできているようなんです。 恨んでいる子は一人もいなくて、みんな 「お母さんありがとう」って言うんです。 赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、 命を懸けてお母さんを守ろうとしています。 そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、 お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。 あるお母さんは義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、 赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが 「神様は絶対に悪いことをしないから」と 声をかけてくれたそうなんです。 実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。 お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、 家庭が穏やかになったそうです。 それからあるお母さんは、自分が子供の頃に 虐待を受けて嫌な思いをしたのに、 今度は自分が我が子に虐待をしていた。 ある時我が子の写真を見たら、 目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。 すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、 その子は僅か五歳なんですが 「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。 だってお母さんがそうするのは お祖母ちゃんからそうされたからだし、 お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。 お母さんが気づいてやめてくれてよかった」 って言ったそうなんです。 【村上:考えさせられる話ですね。 その母親のように、自分が子供に選ばれたことを自覚すれば、 親子関係は随分変わるでしょう】 それは子供にも言えることで、 この母親を選んだと思うと親子関係はよくなります。 人生が辛かった人も豊かになるんです。 |
2013.04.02 |
「あすは運動」 松原泰道(龍源寺前住職) これはかなり前のお話であります。 ある新聞を読んでいましたら、 女子高で教える三十歳くらいの国語の先生の投書が載っていました。 それを読んで私は非常に感動したんです。 当時の女子高の生徒でも、 やっぱり挨拶を全然しなかったといいます。 だからその先生がやり切れなくなって、 「そんなふうに黙っていたら、 家庭間も友人関係もうまくいかない。 就職してもうまくいかないから、 きょうからは少なくとも三つの挨拶を実行してほしい」 と言われたそうなんです。 先生が唱導されたのが 「ありがとう、すみません、はい」 の三つの言葉でした。 この三つさえ言えれば、交友関係もうまくいくし、 人に憎まれることも、人をいじめることも少なかろう。 君たちが上の学校に上がらず、このまま就職したとする。 その職場の中で皆が黙っていたら、 君たちが進んで大きな声で 「ありがとう、すみません、はい」 と言えばいい。これを繰り返せば、必ず事故が減る。 そして先生は三つの言葉の頭文字を取って 「あすは運動」と名づけたそうです。 私は、これはいいことを聞いたと思いましてね。 その後、いろんな会社やどこかでお話をするたびに、 この「あすは運動」をお勧めしたのです。 そうしたら確かに事故が減るんだそうですね。 皆さんも試しにやってごらんなさい。 ご家庭でも職場の中でもいいですから。 「ありがとう、すみません、はい」 この挨拶を繰り返していけば、自然に心が安らかになっていく。 これは禅語の上からも考えられます。 「ありがとう」という言葉は「感謝」と同義語になっていますが、 本来の意味は「有ること難し」です。 滅多にないということ。稀有の事実であります。 いまお互いがここに生きているということは、 考えてみれば稀有の事実です。 私なんか、後期高齢者も越えてしまって、 もう末期高齢者ですよね。 孫が挨拶代わりに「おじいちゃん、いつ死ぬんですか」 なんてことを聞いてきます(笑)。 この頃、朝起きて着物を着せてもらう時にしみじみ思うのですが、 あぁ、きょうもまた生きていた、と。 百歳を越えましてね。 何もかも人様のお世話になりながら、 生きさせていただいているんだということが、 本当に分かってまいりました。 有り得ないことが、いまここに有るんだという事実。 だから感謝の前に、まず、稀有の事実を知ることです。 それから「すみません」。 この言葉は若い女性が嫌うんです。 何にもしないのに「すみません」なんて謝るのは 侮辱だなんておっしゃるけれども、そんなふうに考えずにね。 すみませんとは、「謝る」という意味より前に、 「すんでいない」ということなんです。 決済をしていない、未済だということです。 皆様もお気づきでありましょうが、 私たちは自分一人で生きていられるんじゃなく、 大勢の人の力を借りて生きさせていただいている。 その恩返しがまだすんでいません、という深い反省の言葉なんです。 それを自分に言い聞かせる意味で「すみません」。 これなら気持ちよく言えるだろうと思います。 第三の「はい」は、単に人に呼ばれた時の返事だと思うから、 なかなか声が出てこないんです。 「はい」と返事をすることは、自分が自分になるということ、 自分自身を取り戻すことができるということです。 誰かに呼ばれた時にモゴモゴするよりも、 「はいっ!」と、こう返事をしてごらんなさい。 気持ちがスカーッとして、自分に出会うことができる。 だからそういう何でもないような挨拶や言葉の中にも、 これこれの意味が含まれているということを 考えていただければと思います。 |
2013.03.27 |
「創発で地域を活かす」 斉藤俊幸(地域再生マネージャー) 東京の自宅を離れ、単身赴任を始めて間もなく十年になる。 その間、熊本で五年、高知で四年を過ごし、 去年の春から愛媛のしまなみ海道に拠点を移した。 私の仕事は、まちづくりを通じて 地方活性化のお手伝いをさせていただく 地域再生マネージャーである。 まちづくりには学生の頃から関心を抱いていた。 東京に生まれたこともあり、都会よりも田舎への憧れが強く、 地元の方々と力を合わせて仕事をしたいという思いがあった。 そこで大学卒業後は一般企業に就職せず、 開発途上国で経験を積んで二十六歳で 地域再生の事業を起こした。 スキルも実績もなかったため、社会の荒波にもまれ、 随分痛い目にも遭った。 「おまえなんかいらない」 何度言われたことだろう。 厳しい言葉を浴びせながらも、 未熟な私と手を組んでくださる方々があったおかげで、 なんとか生きていく術を身につけ、バブル期には こなしきれないほどの仕事に恵まれるまでになった。 ところが程なくバブルが弾けて仕事は激減、 暗黒の九〇年代を迎えた。 転機となったのは二〇〇二年、 ある大学が横須賀市の商店街活性化のために立ち上げた 「まちなか研究室」に参画したことである。 企画はよかったが、現地の空き店舗に設けた研究室を どう維持するかが問題になった。 そこで私は、生計の足しにするために習得していた 酒造技術を公開し、設備を原価で提供することにした。 さらに事業費として店主たちから一口一万円を集めて ファンドをつくり、ワイナリーを設立。 商店街は活力を取り戻し、研究室はいまも ワイナリーの運営とまちづくり活動を続けている。 このまちなか研究室が評判になり、 「ふるさと財団」からの紹介で総務省の民間人派遣事業に参画。 地域再生マネージャーとして最初に赴任した 熊本県荒尾市の二か所の商店街で、私は貴重な教訓を得た。 最初の商店街では当初、横須賀同様に ワイナリーの立ち上げを提案したが賛同を得られず、 侃々諤々の議論の末、野菜の直売所をつくることになった。 実は一キロ先にできた巨大ショッピングモールによって 八百屋が潰れた経緯があり、私は一抹の不安を覚えていた。 ところが蓋を開けてみると周辺に住む高齢者の方々が 次々と買い物に訪れた。 あるお婆さんは手を合わせておっしゃった。 「一キロ先のショッピングモールまで歩いて行けないから、 週に一回タクシーで出かけていました。 近くに直売所をつくってくれてありがとう」 意図せずして私たちは、高齢化に伴う 「買い物難民」の問題を日本で最初に発見し、 その救済モデルを確立したのだった。 次の商店街でも米蔵の下屋部分に、 同じく野菜の直売所を開設すべく準備を進めていたが、 保健所から壁と天井をつくれとの予想外の指導を受けた。 一緒に開設準備をしていた地元の老人たちに、 とてもそんなお金は捻出できない。 諦めかけた時にあるお爺さんから 「加工品を置く場所だけ壁と天井をつくればよか!」 というアイデアが出て、無事開設に至った。 あいにくこの直売所は、直後に台風で大きな被害を受けた。 しかし自立心を取り戻した老人たちは自ら出資し、 補助金に頼らず新しい直売所を立ち上げ、 日商十五万円を実現。 現地を離れる時は涙が止まらなかった。 私はこの活動で国から地域活性化伝道師の称号をいただいた。 現場にたまに顔を出して机上のプランを押しつけたり、 偉そうにコメントするだけでは問題は解決しない。 補助金を申請してお金が下りるまで待っていたら 機を逸してしまう。 私は常に現地に居を構え、地元の方々と夢を共有して 一緒に汗を流すことを心懸けてきた。 その最中に現場から出てくる声を拾い上げ、 スピード感を持って反映していくことで、 思わぬ道が開けていくのである。 科学の偉大な発見が、失敗から偶然導き出されることが しばしばある。いわゆる瓢箪から駒、怪我の功名、 金融工学でいう「創発」であるが、この創発こそが まちづくり成功の鍵を握っていると私は確信している。 現在私は、総務省の地域おこし協力隊として 離島のまちづくりに派遣される若者たちの監督も務めている。 この就職難で、地方に自分の活路を 見出そうとする若者が増えているのだ。 よそ者の彼らは、地元の方々との関係に悩みながらも 優しく育まれ、少しずつ渦を巻き起こしつつある。 彼らの年収は概ね二百万円だが、 これはギリシャやスペインなど、 財政危機に直面するヨーロッパの国民の収入に近い。 そういう条件下で、彼らがまちづくりの ユニークな成功事例を構築していけば、 世界の諸問題にも打開策を提示できる グローカルな人材に育つ可能性も大いにある。 そのために大切なことは、人が見向きもしないところで 勝つまで挑戦を続けるような、 あるいは転んでもただでは起きないような執念と情熱である。 彼らの思いが地元の方々を動かし、創発をもたらすのである。 夜明け前は最も暗いという。 長らく低迷の続いた日本であるが、 志ある若者が増えている事実は、 この国にいよいよ夜明けが近づいている兆しだと 私は期待したい。 彼らの背中を押すとともに、 私自身も各地のまちおこしに力を尽くし、 日本再生のお役に立てれば幸いである。 |
2013.03.25 |
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