本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.026a

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨  
一語履歴 vol.030
創発で地域を活かす...030aあすは運動...030b親を選んでくる子供たち...
一語履歴 vol.029
感謝の気持ちを...~苦しみに感謝...029a三浦綾子さんの幸福論...
一語履歴 vol.028
デッドライン仕事術...028aビジネスマン以前に...028b伸びる選手の条件...
一語履歴 vol.027
金メダルと取れた理由...027a功徳の貯金...027bお母さん...027c君の大儀...
一語履歴 vol.026
人生に絶望なし...026a知られざる偉人...026b命を懸ける姿勢が人を感化する...
一語履歴 vol.025
どん底で私を救った句...025a食べ物を変えれば...025bどん底で私を救った句...
一語履歴 vol.024
言葉は...024a条件...024b二度と...024c天役を...024d学校給食...024eこの道...
一語履歴 vol.023
あずさからのメッセージ...023a将の資格...023b 選手の育成は子育てと一緒...
一語履歴 vol.022
面白い研究であれば... ~絶対に成功しない人...022a松下幸之助氏は...
一語履歴 vol.021
成功する人... ~ハーモニカ...021a安田善次郎...~遊ぼう...
   
   
   
知られざる偉人・天野清三郎

天野清三郎は十五歳で松下村塾に入塾した。
四つ年上の先輩に高杉晋作がいた。
清三郎は晋作とよく行動を共にした。

だが、清三郎は劣等感を覚えるようになる。
晋作の機略縦横、あらゆる事態に的確に対処していく姿に、
とても真似ができないと思い始めたのである。

では、自分は何をもって世に立っていけばいいのか。

清三郎の胸に刻まれているものがあった。

「黒船を打ち負かすような
 軍艦を造らなければ日本は守れない」

という松陰の言葉である。

「そうだ、自分は手先が器用だ。
 船造りになって日本を守ろう」


真の決意は行動を生む。
二十四歳で脱藩しイギリスに密航、
グラスゴー造船所で働くのである。

そのうち、船造りの輪郭が呑み込めてくると、
数学や物理学の知識が不可欠であることが分かってくる。
彼は働きながら夜間学校に通い、三年間で卒業する。

当時の彼の語学力を思えば、
その努力の凄まじさは想像を超えるものがある。

しかし、三年の学びではまだおぼつかない。
さらに三年の延長を願い出るが、受け入れられない。
そこで今度はアメリカに渡り、
やはり造船所で働きながら夜間学校で学ぶのだ。

ここも三年で卒業する。
彼が帰国したのは明治七(一八七四)年。
三十一歳だった。

清三郎は長崎造船所の初代所長になり、
日本の造船業の礎となった。
一念、まさに道を拓いた典型の人である。
 
2013.03.06

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日