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『この道を行く』 坂田道信(ハガキ道伝道者) むかし むかし 師を同じくする 一人の呉服屋さんと 百姓がいました 二人は めぐまれた境遇では ありませんでしたが 師をしたい はげましあい 心ゆたかに 生き抜いたそうです この「むかしむかし」という詩は 坂田道信氏が 寺田一清氏と初めて出会った後に 書いたものといわれています。 ここにある「師」とは お二人の師である森信三先生のこと。 この詩を読まれて、 深く感動された森信三先生は 次のようなハガキを 坂田氏に宛てて送られています。 今朝「むかしむかし」を 読みおわった時 私は 思わず 嗚咽(おえつ) 慟哭(どうこく)を 禁じ得ませんでした 唯今(ただいま) 夜の8時に 再拝読いたしましたが やはり滂沱(ぼうだ)たる落涙を 禁じ得ないでいる次第です ハガキ道の伝道者として知られる坂田道信氏。 坂田氏は若き日に森信三先生と出会い、 ハガキを書くことの大切さを学んでから、 40年以上にわたって、 ハガキを書き続けてこられました。 「私は考えられないような 貧乏でね、病弱でね、 散々悔しい目に遭ったけど、 ハガキに出合って ものすごくおもしろい人生を つくり出すことができた。 だから私にとってハガキは『道』なんですよ」 「森先生は教育とは、 宗教とはハガキを書くことだと しょっちゅう言っていられましたが、 先生のお弟子さんたちの中には 書かない人もありました。 で、私のような頭のよくないものが 一所懸命書いて森先生に育てられたんです」 「頭がいい人はなかなかハガキをしない。 ハガキは一対一だから能率悪い。 能率悪いから苦労するんです。 だから能率、効率考えてる間はできん。 しかし一対一でも千回やれば一対千になるんですよ」 |
2013/02/23 |
「学校給食に命を吹き込む」 佐々木十美(管理栄養士) 【給食にどのような思いを込めてこられたのですか?】 子供たちに食材の本当の味を覚えてほしい というのが一番の思いです。 大人になった時にどんな食材を選ぶか、 どんなお店を選んで何を食べるかを決めるのは 学校給食の経験だと思っているんです。 本当の味ですから魚は骨が入ったものを出しますし、 辛口のカレーも出します。 「食べやすいものを」と言う方もいますが、 決して子供に媚びることはしません。 それで残すことがあっても切り方や味付けを変えて 何度でも出します。 そのことによって子供たちの味覚は磨かれていくんです。 使う野菜にも調味料にも徹底してこだわります。 通年で使うものはタマネギ、ニンジンなど数種類に限定し、 キュウリは夏場のみ、カボチャは冬至を過ぎたら出しません。 旬でないものを食べさせることには違和感があるし、 冬場にトマトやキュウリなど 体を冷やす食材をあえて使う必要もない。 【自ら農家に収穫に行かれることもあるそうですね】 同じ環境で育ったものを 体が一番喜ぶという思いがありますから、 旬のものは極力地元産を使って、 その美味しさを子供たちに伝えたいと思っています。 それでも食材全体からすると 三、四割といったところでしょうか。 限られた予算でやり繰りするのも大変なのですが、 ある時「杏がいくらでもなっているからあげるよ」 と言われて伺ったら、屋根の上だったことがあるんです。 登って収穫して天日干しで杏漬けにしましたけれども、 仕事のためなら屋根にも木にも登ります(笑)。 食材について申し添えておくと、 私たちは挽き肉も最初から自分で作るんです。 数年前、北海道の食肉会社の挽き肉偽造事件が起きましたね。 北海道教育委員会のほうから調査に来られましたが、 うちは一切使っていませんから、 まったく問題になりませんでした。 私はプロとして仕事に責任を持っているし、 何があっても揺るがない姿勢で四十年間やってきたんです。 何かあるとすぐ人のせいにしたくなるでしょう。 誰かがこう言いました、ああ言いましたって。 だけど仕事はすべて自分の責任なんです。 真剣勝負と申し上げたように、 いつ辞表を出してもいいという覚悟でいました。 だから私は怖いものなしです。 保護者や担任の先生がいようと 子供たちがいい加減な食べ方をしていたら、 本気で怒りますから(笑)。 「給食ごときになんでそんなに一所懸命なんだ」って。 だけど、私は自分で納得するまで働かないと 仕事をしたことにはならないと思って生きてきました。 |
2013/02/21 |
天役(天から命じられた役目)を知るにはどうするか。 住友生命の社長・会長を務められた 新井正明氏は兵役でノモンハン事変に参戦し被弾、 右脚を付け根から切断した。二十六歳だった。 帰還した氏を会社はあたたかく迎えてくれたが、 若くして隻脚の身となった苦悩は限りなく深かった。 その最中、新井氏は安岡正篤師の 『経世瑣言(けいせいさげん)』で一つの言葉── 「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は 非常に好ましいものだ」 に出合い、翻然とする。 「自分の身体はもう元には戻らない。 ならば過去のどうにもならないことを悩むより、 現在自分が置かれているところから 将来に向かって人生を切り拓いていこう」 この瞬間から新井氏は真の人生を歩み始めた。 |
2013/02/19 |
「二度とないこの一球という意識を強く持て」 小久保裕紀(元福岡ソフトバンクホークス選手) 現役を終えた僕がいまいろいろなお話を いただいているのは 野球一筋にやってきたからだと思っているんです。 野球という道を極めようとしたことが 自分の生きる道に繋がりました。 野球が野球道へと繋がったように 一つを極めることは自分の財産になる、ということですね。 いま若い人は定職に就かず いろいろなことを体験して 自分に合うものを見つけようとする傾向がありますが、 それは違うと思います。 いま目の前にあることこそが天職で、 そこに百%時間を使って取り組まない限り、 その先の人生で花を咲かせることはできないんです。 ちょっと囓ったくらいでは 仕事の本質は絶対に分かりません。 どんな小さな仕事であっても、 それを天職と自分で思って全身全霊をかけてぶつかり、 目の前の課題を一個一個クリアする中で 次の展開が見えてくる。 僕の座右の銘である「この一瞬に生きる」は そこに繋がってくると思っています。 王監督からは「二度とないこの一球という意識を強く持て」と 教わりました。 同じ一球でもなんとなく見逃すのと 確信を持って見送るのは大変な違いです。 ただ、野球は勝負なのでこの言葉がピンと響くんですが、 ユニホームを脱いだ後は、よほど強く意識しない限り、 一瞬一瞬の勝負がなくなってしまう。 だからこれからは、講演でも取材でも野球教室でも、 すべての仕事を試合と考えて 全身全霊で打ち込もうと思っています。 それに一つ加えるとしたら、 プロ野球でもなんの世界でも 「思い」の強さはとても大事だと思います。 プロに入ったことで夢を叶えたと考えるような選手は やはり育たないですね。 僕の場合は「絶対にレギュラーになる。絶対に名を残してやる」と いう思いが半端でないくらいありました。 だからこそプラスになると思うものは なんでも吸収してきました。 いまの若い選手には 「僕は将来、絶対にホームラン王になる」 と言い切る者が少ないんですよ。 逆に結果が出ていないのに謙虚な選手ばかり増えてきました。 僕はそんな選手に 「俺は天狗になって、その鼻を折られた。 それでも折れた鼻を再び生やしたから成長したんだ。 伸びもしないうちから謙虚になるな」 と言うんです。 特に若い頃は寝ても覚めても夢でも、 常に願望を抱いていることが 伝わってくる迫力が必要だと思います。 |
2013/02/12 |
「プロフェッショナルの条件」 プロフェッショナルとは、 より高みを目指す人だと思います。 プロスポーツにしても、とにかく記録を目指す。 前の記録よりも、よい記録を。 そして高いところに登った時に見える景色を 自分の中で謳歌できる人。 その景色を見た時、その空気を感じた時に、 前とは違う自分を感じている。 そしてまた次の新しい空気を感じてみたいと感じる。 それが本当のプロだと思うんです。 小学校の頃はそれなりに勉強ができたんですよ。 でも中学校へ通い出すと、 異性とか運動とかに興味を持ったり、 いろんなものに出合うじゃないですか。 そんな成長過程の中で勉強というものが下位に沈んでいって、 それをコツコツやることができなかった。 ところがちょうど一年前に 「一途一心」という言葉に出合い、 そこに「コツコツは一途一心と同義である」と書いてあって、 これだと思った。 やればできると思っていた勉強が、 やってもできなくなった。 同じ努力をしていても抜かれてしまう。 それでも卑屈にならず、ひたすらに、ひたむきに 一つのことに打ち込んでいると、 あぁこれならできるというものが見つかるんですよ。 そして「やればできるじゃないか」という気持ちを 再び呼び起こしてくれるのだと思うんです。 |
2013/02/07 |
「言葉は丁寧に使おう」 実は怪我をするまで、僕は競争が大好きな人間でした。 「常勝」が信条で、人に負けない生き方を ずっと貫いていたんです。 だから「助けて」なんて言葉は口が裂けても言えない性分でした。 それが怪我ですべて人の手を借りなければ ならなくなりました。 僕が一番したくない生き方でした。 苦しいし、泣きわめきたいし、「助けてっ!」って 言葉が口元まで出かかってくるけど、 プライドが邪魔してそれを言わせない。 ここで弱音を吐いたら、家族に余計に 心配をかけてしまうと思うと、 なおさら言えませんでした。 皆に迷惑をかけた分、なんとかしたいって 気持ちでいたんですが、そのプレッシャーや苦しさに 押し潰されそうになってしまって…… 僕はとうとう舌を噛んだんです。 自分の未来に絶望感でいっぱいでした。 本当は死にたくなんてなかったんです。 でも首から下の動かない人生、 生き方が分からず苦しかったんです。 だけど結局、死に切れなかった。 あとには生きるという選択肢しかなくなりました。 じゃあ明日から前向きに生きられるかといったら、 それは無理です。 自分を押し包む苦しさが なくなったわけではありませんからね。 次にしたことは将来を手放すことでした。 自分の将来に期待するから苦しむ。 だったらその将来を手放してしまえばいい。 周りに何を言われても無反応になりました。 そんなある晩、苦しくて寝つけないでいると、 看護師さんが声をかけてくれました。 「腰塚さん、寝ないと体がもちませんよ。 睡眠剤が必要だったら言ってね」 って。その言葉に僕の心が反応しちゃったんです。 おまえに俺の気持ちが分かってたまるかって、 無意識に彼女をグッと睨みつけていました。 その看護師さんは素敵な方でね、 僕の様子にハッと気づいてすぐに言ってくれたんです。 「腰塚さんごめんね。 私、腰塚さんの気持ちを何も考えずに、 ただ自分の思ったことを言ってたよね。 でも腰塚さんには本当に少しでも よくなってもらいたいと思っているから……、 なんでもいいから言ってほしいです。 お願いだから何かさせてください」 看護師さん、泣きながらそう言ってくれたんです。 彼女が去った後、涙がブワッと溢れてきました。 あぁ、この人俺の気持ちを分かろうとしてくれてる。 この人にだったら俺、「助けて」って 言えるかもしれないって思えたんです。 それまで僕は周りからずっと 「頑張れ」って励まされていました。 僕のことを思って言ってくれているのが 分かるから決して言えなかったけど、 心の中は張り裂けそうでした。 俺、もう十分頑張っているんだよ……、 これ以上頑張れないんだよって……。 だから救われたんです。 あの時以来、凄く思うんです。 人の放つ一言が、人生をどうにでも 変えてしまうんだなって。 だから自分は言葉を丁寧に使おう。 言葉をちゃんと選んで、丁寧に使おうって。 |
2013/02/06 |
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