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闘魂の人 川口 雅昭(人間環境大学教授) 松陰の29年間の人生は、 まさに「闘魂」という言葉に 象徴されているのではないでしょうか。 闘魂と聞くと、 私たちは目を血走らせ、 闘志を剥き出しにして 力と技を競い合う武道家や レスラーなどをイメージします。 しかし、松陰の闘魂は、 それとは全く趣を異にしています。 松陰は「大義」を前にして 命を捨てることすら惜しまない人でした。 いささかの私心もなく、 国家に殉じる覚悟のできた人でした。 それが松陰の闘魂なのです。 その典型は、何をおいても 嘉永七(1854)年3月の 「下田事件」です。 松陰は十代の頃から、 清国がアヘン戦争で 欧米列強に大敗した理由を 研究してきました。 そして 「日本は侍がいる限り、 植民地化されることはない」 という結論に至りました。 しかし、同年、 アメリカ海軍の砲艦外交に屈した幕府が 日米和親条約を結び、 譜代の臣であるはずの侍が ホッと安堵している様子を 目の当たりにした時、 松陰は憤懣やるかたない思いに駆られます。 「開国か、鎖国かを問う前に、 国家の意思で何も決められない国が 属国なのだ。 日本はその属国に 成り下がってしまったのか。 侍連中は一体何をやっているのだ。 誰も動かないのなら、 俺が国家の純潔を守る以外にない」 |
2016.10.06 |
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