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人を偲ぶ心の優しさ 西端 春枝(真宗大谷派淨信寺副住職) 最近はタクシーを 使うことが増えましてね。 その時にはできるだけ運転手さんに 話し掛けるようにしているんです。 この前も 「あんた、お母さんいてはるの」 とお聞きすると、小学校の頃に 亡くなったと言うんですよ。 でも具体的に何月何日 だったかは覚えていないし、 ある運転手さんは 両親の命日を知らない。 中にはお兄さんと喧嘩して 家を飛び出したから、 どこのお寺さんに行けば いいのか分からないという。 こういう人たちに出くわすと、 もう黙っていられないから 身を乗り出して説教が 始まるんですよ(笑)。 彼らはいつも車で走っているので、 お寺の前を通ったら、ちょっとでも 頭を下げるようにと言うんです。 それだけでもいいって。 ──それだけですか。 そう。でもね、そうすれば、 自然とお母さんのことを思い出したり、 心の中でお父さんに 話し掛けられるようになるんです。 そうやってご自身が亡くなるまで、 折に触れて親のことを 偲ぶことも親孝行なんですよ。 そしてこのような話をしながら、 私自身もまた自分の 親のことを偲んでいる。 ある運転手さんが私と話し込んで、 つい道を間違えてしまって 遠回りしたことがありました。 彼はしきりに謝りましたが、 それよりも私は「遠回り」 というのが懐かしいなと思ってね。 なぜかと言えば、子供の頃に母親から 「はよ帰っておいで」と 言われていたんだけど、機嫌が悪くて 遠回りして帰ったことがあったんです。 つまらないことして、親を困らせてね。 そんな懐かしい母との思い出を、 思わぬ人の言葉で思い出せるんです。 ──それもまた親孝行だと。 父は親孝行なんて、 親が生きている間に 満足にできているなんて思うな、 と言っておりました。 親が子を思う心の半分も、 お返しなんぞできるものではないと。 だから昔の人はお盆の時に、 墓石を洗いながらこんな詩を 思い浮かべていたんです。 「父母の背を流せし如く墓洗う」 いま生きていれば一遍でも 背中を流してあげるのにな、 と思う時にはもう親はいないんですね。 だからせめて父母の背中を 流すつもりで墓石を洗う。 こうやって一つひとつの 出来事を通じて、私たちは 亡き親を偲ぶことができるんですね。 |
2016.02.17 |
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