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一語履歴WORD vol.159

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一語履歴 vol.160
鎌倉女子大学 160a済陽式食事療法 160b論語 160cリーダーの資質
一語履歴 vol.159
福澤諭吉 159a失敗なくして 159b古典教育 159c一流と二流
一語履歴 vol.158
続けられる人 158a自叙伝 158b意識は 158c脊椎...~プロ
一語履歴 vol.157
人格の方程式 157a仕事術 157b前進 157c強固な...~本物に
一語履歴 vol.156
写真を上手に撮る秘訣
一語履歴 vol.155
ブスの25箇条 155a共通する 155b運命を変える 155c独創力
一語履歴 vol.154
期待する 154aノーベル物理学賞 154b成功の要諦
一語履歴 vol.153
過酷な運命 153a一句に込められた 153b若者よ...~女子の教養
一語履歴 vol.152
誠は扇の要 指導者というのは我慢が必要
一語履歴 vol.151
捨てると強くなる 151aきれいな心をみて 151bこの苦しみ 99% 教えて
知られざる福澤諭吉の逸話
             中村勝範(慶應義塾大学名誉教授)

福澤諭吉という人物について、『学問のすゞめ』『文明論之概略』などを著し、
近代日本の思想的礎を築いた人物というだけでは、
親しみを持つのが難しいかもしれません。
    
一つ目は福澤の父・百助(ひゃくすけ)にまつわる話です。

江戸時代の日本には、 一文銭の穴に紐を通して
96枚を輪っかにしておけば、100文として使用できる習慣がありました。

ある時、百助はその中から数枚を抜き、
うっかり妻の於順(おじゅん)に伝えないまま
外出したことがありました。

帰宅すると一文銭の輪っかがありません。

於順から魚屋に代金として渡したと聞いた百助は、
人足を雇ってまで一日がかりで魚屋を探し出し、
丁重に詫びを述べた上で不足していた代金を払い、
人足にも一日の手当てを支払ったというのです。

その古銭が父の形見として 家に残っていることを母から聞き、
いたく感動した福澤は、この古銭を終生大事にするとともに、
子供たちには

「我が父は正直で一途な人だった。
 これを家宝として子々孫々まで伝えていってほしい」
と言い残したといいます。

福澤の几帳面な人柄がそこには見て取れます。

二つ目は咸臨丸と木村摂津守(せっつのかみ)にまつわる逸話です。

下級武士の福澤は木村の配慮なくして咸臨丸に乗れなかった。

その木村は渡航にあたって莫大な借金をしていました。

幕府がアメリカの要人との交際費を出さなかったため、
木村自ら借金して用立てたのです。

交際費はすべて使い果たし、帰国後、
すこぶる生活に困窮するようになりました。

福澤はそういう木村を見かねて
米俵二俵と金10円を毎月欠かすことなく送り続けました。

そしてそれは明治34(1901)年に木村が死んだ後も続き、
子供たちの生活や学費の面倒を見るのです。

「木村摂津守がいたからこそ、
 自分は二度もアメリカに渡ることができ、
 遣欧使節団の一員にもなれた。
 『西洋事情』も書くことができた。
 木村摂津守がいなかったら今日の福澤はない」

福澤は、木村から受けた恩を決して忘れず、
その恩にどこまでも報いていこうとする人でした。

師である緒方洪庵に対しても同じでした。
師亡き後、いつまでも家族の生活を援助し続けています。

福澤は科学的、合理的な考えの持ち主で、
それが日本が近代化する上での
牽引力となったことは事実です。

しかし、福澤の生き方は極めて古武士的、儒教的でした。

福澤という人物を知れば知るほど、
そのスケールの大きさに驚きを禁じ得ません。
それは私自身の人生のお手本ともなっています。
 
2015.09.10

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