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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.139

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天才心臓外科医が開いた境地...
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組織はそこに...
天使の手を持つ天才心臓外科医と称される
ニューハート・ワタナベ国際病院総長の渡邊剛さん。

これまで日本初の術式を数多く手掛け、
心臓外科医療に革命をもたらしてきました。

圧倒的な手術成功率を誇っており、
国内のみならず世界中から患者さんが訪れるといいます。

     「天才心臓外科医が開いた境地」

    渡邊剛(ニューハート・ワタナベ国際病院総長)

 渡邊 日本の病院の心臓外科手術成功率は平均で約97%です。

つまり、死亡率は約3%、100人手術したら3人は亡くなる。
これは決して満足のいくレベルじゃないわけですね。

一方、僕らは金沢大学病院時代の15年間で
成功率99・5%という実績を挙げてきました。

そして現在では99・7%の成功率、
死亡率は0・3%で、平均の10分の1です。

昨年5月に開院して以来、今年の3月末までに
308件の手術を行ってきましたが、死亡はゼロ。

――圧倒的な数字です。

渡邊 いかに短時間で手術を終えるかが成功の一つの肝なんですが、
   そのためにはチームが上手く機能しなければなりません。

心臓外科医だけではなく、各分野の一流を集めた
プロ集団を創る必要があるんです。

例えば、弁置換手術で心臓を止めている時間の全国平均は約97分ですが、
僕らのチームは約40分で終えることができる。

当院に集うメンバーは心臓外科医、麻酔医、ナース、
薬剤師、管理栄養士、理学療法士、秘書も含めて、
多くが金沢大学、東京医科大学病院時代に
僕と一緒にやってきた仲間です。

患者さんには必ず元気に帰っていただく。
その一点だけを考えて仕事をしています。

――プロ集団を創り上げる上で、どんなことを心掛けていますか。

渡邊 負け癖をつけない。

やっぱり患者が亡くなる経験ばかりしている外科医は、
確率論だから亡くなったとしてもしょうがないやと思う。

そういう言動をとったスタッフには辞めてもらっています。

――今回の取材にあたって秘書の方とやりとりをさせていただきましたが、
  非常に真摯な対応ぶりに感銘を受けました。

渡邊 そう言っていただけると、嬉しいです。

スタッフの教育に関して特別なことはしていませんけど、
「思いやりを持って行動してください」と常々言っています。

あとは目を光らせて悪い芽は即座に摘むということですね。
やっぱりそこは一本筋を通しておかないといけません。

一人のスタッフがちょっと対応を誤って、
お客様が「何この人、嫌だな」と思った瞬間に、
もう病院全体のイメージが悪くなるでしょう。

だからドクターやナース、清掃員、警備員に対しても、
僕はそういう言動を見つけたら徹底的に正します。

一人の対応いかんで組織の印象が
すべて決まるわけですからね。
 
2015/05/09

世界文化遺産への登録勧告を受けた
「明治日本の産業革命遺産」の23の構成施設の1つ、
山口県萩市の松下村塾。

幕末の志士・吉田松陰が主宰し、
明治維新の原動力となる逸材を数多く輩出しました。

    「吉田松陰流 リーダーの条件」

     川口雅昭(人間環境大学教授)

『講孟箚記(こうもうさっき)』とは、吉田松陰が「下田事件」の後、
幽囚の身となった山口県萩の野山獄で同囚たちを相手に始めた
『孟子(もうし)』の講義内容を松陰自身が記録したものです。

松陰の講義はいたく人々の心を打つものでした。
穏やかな、しかも真摯な講義は獄中の囚人たちはもちろん、
獄外で講義を聴いていた獄吏(ごくり/牢獄の役人)たちをも感化しました。

松陰はただ一方的に教えただけではありません。
松陰もまた同囚を「先生」として、彼らが得意な俳句や書をともに学びました。
絶望や嘆きに満ちた牢獄はたちまちにして学びと希望の場と変わったのです。

『講孟箚記』は現在に生きる私たちに様々な人生や仕事の示唆を
与えてくれますが、その一つが組織の長たる者の姿勢です。

その中でも特に大切なものを2つ挙げれば、
「私心を去る」こと、そして「善を好む」ことです。

松陰は『武教全書講録』の中で、国家の長たる武士がなすべきこととして、
公私の来客に対応すること以外には、

「武芸を習ひ、武義を論じ、武器を閲(けみ)するの三事に過ぎず」

(武芸習練、武士のあるべき様の学問、武器の手入れの三つに過ぎない)

と述べ、

「武士誠にこの三事を以て日々の常識とせば、
 武士たらざらんと欲すといえども得(う)べからず」

(武士が本当にこの三つのことを日々の当然とし実践すれば、
 立派な武士たらんと思わなくても、必ず心ある武士となるであろう)

と結んでいます。

ここで松陰のいう「武義を論ず」とは、
侍としてのあり方について学び続けることです。

『講孟箚記』では具体的に次のように言っています。

「武士たる所は国のために命を惜しまぬことなり。
 弓馬刀槍(きゅうばとうそう)銃ホウ(※石+駁)の技芸に非ず。
 
 国のために命さへ惜しまねば、技芸なしといえども武士なり。
 技芸ありといえども、国のために命を惜しむは武士に非ず。

(武士の武士たる価値は、国家のために命を惜しまないところにある。
 弓馬・刀槍・銃砲などの技芸にあるのではない。
 
 国家のために命までも惜しまないというのであれば、
 技芸などなくても立派な武士である。
 いくら技芸があったとしても、
 国家のために命を惜しむようであれば武士ではない)
 
リーダーに必要なのは技芸ではない。
いざという時に国のために命を捧げる腹さえあれば、
それだけでいいのだ――

松陰のリーダー論は極めてシンプルです。
まさに私心を去ることの極みとも言うべき言葉ではないでしょうか。

二番目の善を好むこと(好善)は
『孟子』の思想の真髄で、松陰もとても大切にしていました。

「『善を好む』ということは、
 政治を執る人が座右の銘とすべき教えである。
 政治を行うことは難しいことではない。

 善を好むことと他者を受け入れること、
 これができる人は国に利益を与える。

 優れた人材を登用する時には国家は安泰で、
 そのような人を退ける時には国家は危険になる」

「私心を除去する」「善を好む」。

この二つは、口にするのは簡単ですが、実行となると至難の業です。
しかし、事を為すにこれほど大切なことはありません。

その目標に向かって突き進み、
その如く生きたのが、まさに松陰だったのです。
 
2015/05/07
先日、王貞治氏の持つ最多得点記録を
日米通算で抜いたイチロー選手。

23年連続となる今季第1号ホームランを放っては、
通算70度目の1試合2盗塁を決めるなど、
41歳にして衰えるどころか、ますます進化を見せています。

そんなイチロー選手の専属打撃投手をかつて務め、
最も身近で支えてきた奥村幸治さんが語った

   “最多得点記録・イチロー選手の「プロの流儀」”

   奥村幸治(NPO法人ベースボールスピリッツ理事長)

オリックスで打撃投手を務めていた頃、
不調に陥った選手に「投げましょうか?」と声を掛けると、
ほとんどの場合、「頼む」と答えが返ってきた。

練習することによって、少しでも不安を取り除きたいと
思うのが人情というものだろう。

そんな中、私の申し出に一人だけ首を振った選手がいた。
当時20歳だったイチロー選手である。

試合後にその理由を尋ねてみたところ、
彼は「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」と言う。

「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、
 もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか? 

 そうなっては、自分の能力って絶対に発揮できないですよ。
 バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。
 そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。

「初めてお父さんとキャッチボールした時、
 どんな気持ちになりましたか? 
 またやりたいなと思ったでしょ。

 その気持ちなんですよ。
 そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、
 絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り3年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、
寮生活で1年間寝食をともにし、多くのことを教わった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん、“目標”って高くし過ぎると絶対にダメなんですよね。
 必死に頑張っても、その目標に届かなければどうなりますか?
 諦めたり、挫折感を味わうでしょう。
 それは、目標の設定ミスなんです。

 頑張れば何とか手が届くところに
 目標を設定すればずっと諦めないでいられる。
 そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」

二軍時代のイチロー選手は、
マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、
普通の選手に同じことをやれと言っても、
それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、
私はこの「目標設定の仕方」にあるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、
その日にクリアしなければならない課題がある。

その手応えをしっかりと自分で掴むまで、
時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、
継続する力、つまりルーティンを
いかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手にこんな質問をしたことがあった。

「いままでに、これだけはやったな、と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の3年間、1日にたった10分ですが、
 寝る前に必ず素振りをしました。

 その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。
 これが誰よりもやった練習です」

イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、
ひたすら継続を重ねる。

私はこれこそが、彼の最大の力に
なっている源ではないかと思う。
 
2015/05/06

5月5日は「こどもの日」です。

「こどもの人格を重んじ、
 こどもの幸福をはかるとともに、
 母に感謝する」とされています。

いまから40年前、
15歳という若さで亡くなった
山田康文くん、通称やっちゃん。

重度の脳性マヒで、全身が不自由、
口も利けないやっちゃんが
作った一篇の詩があります。

        感動の涙で心を潤す
    「やっちゃんの詩」が教えてくれるもの
    
忘れられない詩がある。

15歳の重度脳性マヒの少年が、
その短い生涯の中でたった一篇、
命を絞るようにして書き残した詩である。
 
  ごめんなさいね おかあさん

  ごめんなさいね おかあさん

  ぼくが生まれて ごめんなさい

  ぼくを背負う かあさんの

  細いうなじに ぼくはいう

  ぼくさえ 生まれなかったら

  かあさんの しらがもなかったろうね

  大きくなった このぼくを

  背負って歩く 悲しさも

 「かたわな子だね」とふりかえる

  つめたい視線に 泣くことも

  ぼくさえ 生まれなかったら

 
  ありがとう おかあさん

  ありがとう おかあさん

  おかあさんが いるかぎり

  ぼくは生きていくのです

  脳性マヒを 生きていく

  やさしさこそが 大切で

  悲しさこそが 美しい

  そんな 人の生き方を

  教えてくれた おかあさん

  おかあさん

  あなたがそこに いるかぎり
 
作者は山田康文くん。

生まれた時から全身が不自由、口も利けない。
通称やっちゃん。

そのやっちゃんを養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、
彼の言葉を全身で聞く。

向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、
やっちゃんがウインクでイエスのサイン。
ノーの時は舌を出す。

気の遠くなるような作業を経て、
この詩は生まれた。

そしてその2か月後、少年は亡くなった。

自分を生み育ててくれた母親に報いたい。
その思いがこの少年の人生のテーマだったといえる。

短い生涯ながら少年は見事にそのテーマを生ききり、
それを一篇の詩に結晶させて、逝った。

生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が、
生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱。

この詩が私たちに突きつけてくるものは重い。
 
人は皆、一個の天真を宿して
この世に生まれてくる、という。

その一個の天真を深く掘り下げ、高め、
仕上げていくことこそ、各人が果たすべき
人生のテーマといえるのでは。
 
2015/05/05

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