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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.134

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組織はそこに...
この4月から新しく社会人になった方や
新天地を歩まれる方も、多いことと思います。

どのような心構えで仕事に挑んでいけばよいのか。
その指針を得ることは大切でしょう。

21歳の若さで小さな食堂を切り盛りし、
現在、全国に308店舗、海外に75店舗展開する
人気和定食チェーンに育て上げた
大戸屋ホールディングス会長の三森久実さんが語った
「20代を生きる上で大事なこと」とは――。

    「20代の諸君よ、“桜となれ”」

   三森久実(大戸屋ホールディングス会長)

20代を生きる上で何が大事か。

私の経験から言えることは、
20代で成功しようなどと考えないでいただきたい、
ということだ。

何よりもこの10年間は
人より苦労することが不可欠である。

かつての私がそうであったように
20代で財を成したり、名声を得た人のほとんどは、
後に失敗している。

一時的には成功しても、
いずれ引っくり返る時が来るのだ。

ビジネスの世界はそんな甘いものではない。

だから、20代で成功しようと考えるのは、
非常に危険なことだと思う。

20代はまず、自分の人生の志を確立すべきである。

そして、志が定まったらその一点に向かって
徹底的に人よりも働き、努力することだ。

1日24時間というのは
誰しも平等に与えられている。

その24時間をどう使うかによって、
人生の結果に大きな差が生まれてくるのである。

自分が掲げる理想と現実の間には
当然、大きな開きがある。

そのギャップを埋めるためにどうするか
ということを常に考え、
いま為すべきことを寝る間も惜しんで実践し続ける。

それが人生の基盤をつくり上げるのではないだろうか。

結局、真面目に必死に働く以外、
道はないのだとつくづく思う。

もう一つ、いまの20代の皆さんに
お伝えしたいことがある。

それは「桜となれ」ということだ。

桜は毎年、春になると
必ず綺麗な花を咲かせる。

当たり前と思うかもしれない。

しかし、その過程では、
秋の台風や冬の厳しい寒さ、
その他あらゆる自然災害に見舞われる。

それらを耐え忍び、春には必ず咲く。

桜はどんな苦難があっても
「一年に一回、綺麗に咲く」という目標を変えることはない。

その桜と同じように、人間も本来、
自分が思い続けることは必ず具現化できる生き物なのだ。

しかし、目標達成までの過程で
嫌なことや苦しいことが降りかかると、
すぐに諦めて目標を変えてしまう人が多い。

そして、そのたびに

「自分は運が悪い」
「お金がなかったから」
「あの人のせい」

と、できない理由を並べて、
自分を正当化する。

このような人生からは
何の果実も生み出すことはできない。

20代の皆さんにはぜひ桜のように、
何事にも耐え、諦めず自分の志を必死に追い続けてほしい。
 
2015/04/09

「幸せになりたい」というのは
誰しもが抱く共通の思いでしょう。

世界の三大幸福論の一つに数えられる
フランスの哲学者・アランの代表的著作『幸福論』。

     「幸福はプロセスの中にある」
         
     合田正人(明治大学文学部教授)

「悲観主義は感情で、
 楽観主義は意志の力による」

これは『幸福論』最終章の冒頭に出てくる言葉であり、
「楽観主義」はアランの哲学の根幹をなす思想の一つだ。

意志の力によって「楽観主義者」になることが
幸福をつくりあげる第一歩になるとの考えからだろう。

「幸福になりたいと思ったら、
 そのために努力しなければならない。
 
 無関心な傍観者の態度を決め込んで、
 ただ扉を開いて幸福が入ってくるようにしているだけでは、
 入ってくるのは悲しみでしかない」

「悲観主義」には意志や努力が必要ないことを、
アランは端的に表現している。

そして「喜びは行動とともにやってくる」といったフレーズをはじめ、
『幸福論』には行動に関する事柄が繰り返し述べられている。

これはアラン自身が若い頃に急進的な政治活動に身を投じ、
40代で第一次世界大戦に兵士として従軍するなど、
行動的な人だったことに起因している。

「幸福は行動のなかにしかない」

とさえアランは言っている。

もっとも、アランの言う行動とは、
なにも特別なものではない。

力んで求めるものではなく、
日々の小さな振る舞いによって、
少しずつ積み重ねていくもののことだ。

『幸福論』のプロポ「結び目をほどくこと」には
こう記されている。

「結び目をほどく必要がある。
 それはかんたんな仕事ではない。
 
 誰もがよく知っているとおり、
 怒りと絶望はまず第一に克服しなければならない敵である。

 それには信じなければならない。
 希望をもたねばならない。
 そして微笑まねばならない。

 そうしながら、仕事しなければならない」

ここで改めて幸福とは何かを考えてみたい。

「幸福はいつもわれわれの手から逃げていくといわれている。
 人からもらう幸福については、それは正しい。
 人からもらう幸福などまったく存在しないからだ。

 しかし、自分でつくる幸福というものはけっしてだまさない。
 それは学ぶことだから、そして人はいつも学んでいる。
 知ることが多ければ多いほど、学ぶこともますます多くなるのだ」

幸福とはモノではないため人から与えられるものではなく、
また単純な到達点として掲げる理想のようなものでもない。

むしろ人生とは意志によって自らを開墾し、創造していくもので、
その開墾と創造というプロセスそのものに、
幸福という名が与えられていると私は受け止めている。

「ひとはおのおの自分の気分を開墾する必要がある。
 ほんとうの人間は、自己を揺り動かして
 未来をつくり出すのである」
 
2015/04/05
かつて昭和の大碩学と謳われ、
歴代首相や財界リーダーたちから
師と仰がれた安岡正篤師の一番弟子、
伊與田覺(いよた・さとる)さん。

100歳のいまなお、現役を貫き、
背筋のピシッとした見事な立ち居振る舞いは
一目見るだけで感動を禁じ得ません。

  「仕事ができるリーダーに不可欠な心得」

     伊與田覺(論語普及会学監)

以前、知人が会社でリストラに遭って
私のもとにやってきました。

会社では係長を務め、とても有能な人でしたが、
上の人から疎まれて退職を余儀なくされたのでした。

既に年齢は50に近く、
なかなか就職先も見つからなかったのですが、
まだ学校に通う2人の子供がおり、
家でぶらぶらしているわけにもいかないため、
しばらく私の仕事を手伝ってもらっていました。

幸い1年くらいして3つの会社から内定をもらい、
奥様と相談して、一番給料の安い会社を
選ぶことにしたそうです。

私は、無事就職が決まったことを
とても嬉しく思うとともに、
職を失った1年の間に、
その方が人間的に随分変わられたことを
実感したものでした。

以前は、自分ができることを鼻に掛けたり、
誇示したりすることもあったようですが、
辛い浪人生活を送るうちに、謙虚に構えることの大切さを
実感されるようになったのだと思います。

採用試験でもそれが伝わったからこそ、
3社もの会社から内定をいただくことができたのだと思います。

いまは新しい会社で元気に働いておられますが、
1年の浪人生活がその人には大いに役立ったものと思います。

『中庸(ちゅうよう)』という古典に、

「上位に在りて下を陵(しの)がず。
 下位に在りて上を援(ひ)かず」

という言葉があります。

上の地位にある者は下の者と争わない。
また下の者は上役の気を引くようなことばかり
すべきではない、ということです。

自分の下に出来のいい部下が来ると、
負けん気を起こしてこれを虐め、
蹴落としてしまう人がいますが、
上役は上役らしく、部下を立派に育て上げなければなりません。

また下にいる人は、早く認められたいがために
あれこれとおべんちゃらを言い、
気を引くようなことばかりすべきではありません。

「己を正しくして人に求めざれば、則ち怨み無し。
 上天を怨みず、下人を尤(とが)めず」

自分自身を正して人に求めなければ、
怨みに思うこともない。

認められないということは、
相手が悪いからではなく、
自分自身が十分ではないからと考える。

天を怨んだり人を咎めたりせず、
まず自分を正すことが先であるということです。
 
2015/04/02

日本が直面した最初の国難・元寇。

鎌倉時代後期、2度にわたって元の大軍が
日本に攻め寄せ、対馬、壱岐を占拠、
博多に上陸しました。

その国難の際、日本を率いていたのは
時の執権・北条時宗、24歳です。

若き大将の迷いを吹き払った
無学祖元(むがくそげん)の一言。

       「煩悩するなかれ」

      横田南嶺(円覚寺管長)

時の執権は北条時宗公、24歳でした。

2万、一説では4万とも言われる
海外の軍隊が一気に押し寄せてくるわけですから、
危機感は尋常ではなかったはずです。

一国の指導者として孤独感と、
元軍が再び襲来するのではないかという
強い恐怖感に襲われても不思議ではありません。

ところが、時宗公はいささかも動じる様子がなく、
泰然としていました。

時宗公の父・時頼公は南宋から
名僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師を招いて建長寺を開山し、
自らも禅の修行をした人物です。

息子の時宗公もまた道隆禅師に就いて禅に打ち込むわけですが、
このように総じて当時の指導者たちは身を修めることに
骨惜しみしませんでした。

地震や飢饉、疫病など社会の様々な困難に対処するには、
まず指導者自らが修養に励み、腹を錬らなくてはいけない
という自負心があったのです。

蒙古襲来の報に接しながら、
時宗公が動揺しなかったのもそのためかもしれません。

道隆禅師が示寂(じじゃく/亡くなること)された後、
時宗公は優れた禅の指導者を求めて僧二2人を南宋に遣わします。

その時、白羽の矢が立ったのが
仏光国師こと無学祖元禅師でした。

1279年、54歳という当時では老境の身でありながら
厳しい航海を経て来朝、建長寺の住持に就任されるのです。

弘安の役が起きたのは、その2年後のことでした。

この時、日本に襲来した元軍の数は14万。
文永の役の時の実に5倍ですから、
これほど恐ろしいことはありません。

この国難にどう対処すべきか、時宗は考え続けます。

助言を求める時宗公の質問に答える
祖元禅師のやりとりを記した『元亨釈書』の
有名な次の一文があります。


弘安四年の春正月、平帥(時宗公)来たり謁す。
元(祖元禅師)、筆を采り書して
帥に呈して曰く、「莫煩悩(まくぼんのう)」。

帥曰く「莫煩悩とは何事ぞ」。

元曰く、

「春夏の間、博多擾騒(じょうそう)せん。
 而れども、一風纔(わずか)に起こって万艦掃蕩(そうとう)せん。
 願わくは公、慮りを為さざれ」。

果たして海虜(かいりょ)百万鎮西(ちんぜい)に寇す。
風浪俄(にわか)に来たって一時に破没す。


南宋の人である祖元禅師は日本語が話せないので、
筆を執り「莫煩悩(煩悩するなかれ)」と揮毫します。

そしてこう続けられるのです。

「春夏の間に博多で大きな戦があるでしょう。
 しかし、風や波が起こって元の船はいなくなるはずです。
 時宗公、どうかご心配なさらぬように」と。

その言葉どおり、風浪が起きて
元の大軍はたちまち西の海に沈んでしまうのです。

ここでいう「莫煩悩」とは「心配することはありません」と
訳すのがよろしいかと思います。

決して楽観的になれというのではなく、
何があってもぐらつかない腹の据わった将のあり方を、
この三文字で諭されたのです。
 
2015/03/30

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