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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.131

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組織はそこに...
自動車用品メーカーのイエローハットを
一代で築き上げた創業者・鍵山秀三郎氏。

掃除を実践し続けることによって、
社員が変わり、会社が変わり、
業界をも変革させてきました。

たった一人で始まった鍵山氏の掃除道は、
いま全国各地、そして世界へと広がりを見せ、
NPO法人日本を美しくする会は
120か所以上に及んでいます。

  「組織はそこにどういう人がいるかで決まる」

   鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役)

平成5年、日本を美しくする会が発足して以来、
海外も含めて全国の学校のトイレ掃除をしてきました。

その数は今年中に700校を超えると思います。

この活動を通して、優れた人格を備えた
立派な先生方にお逢いすることができて、
とても嬉しく存じました。

しかし残念ながら教壇に立つ資格がないと思われる先生も、
少なからずおられることも事実です。

前任者が荒廃させた学校を見事に立て直して
素晴らしい学校にされるお方がおられます。

反対に、優れた校風を育んできた学校を
僅かな間に崩壊させた先生もおられます。

そこにどういう人がいるかで、
その組織や環境は全く違ったものになってしまうことを
目の当たりにしてきました。

下村湖人著『青年の思索のために』の中に、

「自分が手術をした患者を、
 10年、20年もたってから
 訪ね歩いた外科医がいた」

という一節があります。

自分が執刀した患者のことを
いつまでも心配し続けられたのです。

この後に続けて、

「これほどの良心が医者にだけでなく、
 政治家や教育者にも幾人かあってほしいものである」

と結んでいます。

60年も前の本ですが、
ここに掲げた教訓が生かされていれば、
日本の国と国民はいまよりも高い水準に至っていると思いました。
 
2015/03/19

30万部を超えるベストセラーとなり、
今年5月には映画化もされるという
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて
 慶應大学に現役合格した話』。

そのモデルとなった、ビリギャルことさやかさんをはじめ、
3人の子供を育てたのが母・橘こころさんです。

夫婦間の大きな亀裂、
子供たちは世間や学校から
「ダメな子」とレッテルを貼られる……

     「どん底家族の奇跡の再生」

     橘こころ(エッセイスト)

――どのようにして家族を再生されたのですか。

橘 転機となったのは、やはりさやかが高校2年の夏に塾へ行き、
  慶應大学を目指して受験勉強を始めたことです。

大学までエスカレーター式で上がれる学校にいたのですが、
成績もさることながら、無期停学のことなどがあって
内部推薦が受けられないだろうと言われていました。

そこで、知り合いに紹介された坪田先生の塾へ
面談にだけ行ってみることにしたんです。

さやかがイヤなら通わなくてもよかったのですが、
とても楽しそうに帰ってきて「私、慶應大学に合格する!」と言ったんです。

私は迷わず「いいね! 全力で応援するね」と喜び合いました。

――ああ、迷わず「応援する」と。

橘 私は行ける行けないは別にどちらでもよくて、
  さやかが「慶應に合格する!」とワクワクしていることが重要でした。

一方、主人は

「おまえなんかが慶應に受かるはずない。
 その塾の講師は詐欺師だろう。
 おまえを塾に通わせる金なんてドブに捨てるのと一緒だ。
 俺は一銭も出さん」

と言いましたから、
塾の費用は私が独自にパートに出たり、
保険を解約したりして工面することになったんですね。

――そこから慶應大学に合格するまでは様々なドラマがあったようですが、
  お子さんの夢を応援する時に心掛けていたことは?

橘 やっぱり応援するのと過保護なのとは
  大きく違うと思うんです。

子供の夢を応援したいというのはどんな親でも一緒だと思いますが、
それを自分が叶えさせてやろうという気持ちになってくると、
間違いなのかなって。

うちの長男の例が分かりやすいと思いますが、
確かに小学生の頃は野球が好きで、上手かったと思うんです。

それを主人が喜んで、
「よし、俺が夢を叶えさせてやる」と。

おまえは俺の言うことを聞いていれば間違いない、
ああしろ、こうしろ。

ミスをすれば罵倒して、
時には激しく殴る蹴るを繰り返す。

そこまでいくともう親の自己満足でしかなくて、
結果、子供の才能が伸びるのを阻害したんじゃないかと思うんです。

――子供の夢がいつの間にか自分の夢になってしまうと。

橘 だから、さやかが入試の直前に模試の結果が悪くて
 「もうダメ。慶應、行けない!」と泣いて落ち込んだ時も、
  私は「夢を途中で諦めてはいけないわ」とは言いませんでした。

「そんなに辛いなら、やめていいんだよ。
 いままでよく頑張ったね!」と。

ただ、娘はそれを聞いて、
逆にもう一度頑張ろうと思ってくれたようです。

そうやって必死で勉強する彼女の姿が、
主人の心を少しずつ変えていきました。

滑り止めの私大受験の日、大変な大雪に見舞われました。

その時、ずっと娘と関わろうとしなかった主人が
「俺が試験会場まで車で乗せて行ってやる」と申し出てくれたのです。

最終的に本命の慶應大学に合格した時は、
本当に久しぶりに主人と2人で手を取り合って喜んだ瞬間でした。
 
2015/03/19
3月は、別れと旅立ちの大切な季節です。
人生の大切な節目の時に、どのような卒業の時を迎えるか・・・

九州ルーテル学院大学客員教授:大畑誠也氏が
卒業式の日に行っていた最後の授業。

私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。

そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。

「いままで、お父さん、お母さんに
 いろんなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。
 それを思い出してみろ。
 交通事故に遭って入院した者もいれば、親子喧嘩をしたり、
 こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言った者もおる…」。

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

「おまえたちを高校へ行かせるために、
 ご両親は一所懸命働いて、その金ばたくさん使いなさったぞ。
 そういうことを考えたことがあったか。
 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、まず親に感謝しろ」

そして
「心の底から親に迷惑を掛けた、
 苦労を掛けたと思う者は、いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
 その手ば握ってみろ」

と言うわけです。
すると一人、二人と繋いでいって、最後には全員が手を繋ぐ。

私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ! 
 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか? 
 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
 おまえたちを育てるために大変な苦労してこられたからたい。
 それを忘れるな」

その上でさらに
 「18年間振り返って、親に本当にすまんかった、
 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は
「よし、目を開けろ。分かったや? 
 私が教えたかったのはここたい。
 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
と言って部屋を出ていく。

振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。

人間として生まれて一番身近な、
一番大切な存在って親じゃないですか。

親は選べません。
親も子は選べません。
ならばそれをきちっと固めるしかないじゃないですか。

後漢の書に「孝は百行の本。衆善の始なり」とあります。
親孝行は諸々の行いのもとであり、
諸々の善きことの始めである。

昔よく言われた言葉をいまはすっかり忘れてしまっている。

結局、教育とは何なのかと突き詰めて考えてみると、
それは自分自身の生き方であり、在り方ですよ。

その生き方、在り方が生徒に反映していく。
「大人の生き方、在り方=大人の教育力」ですね。

子育ても同じでしょう。
「親の生き方、在り方=親の子育て力」。

人生とは何なのか、
人間はどういう生き方をすべきかという価値観を
きちんと持っている、そういう人はきちんとした子育てをする。

だから自分がどういう生き方をしているか。
それを大人は常に自問しなければならないと思います。

夏目漱石は「教育は感化なり」と述べました。

子供の魂に響く教育、魂に届く教育、魂を揺さぶる教育ができれば、
その本人も自ずと自分の生き方、在り方を考えるようになる。

教育者にせよ、会社の社長や上司にせよ、この感化力のある人がどれだけいるかが、
次代の国の盛衰を握っているのだと思います。
 
2015/03/18

司法試験といえば、
日本最難関の資格試験の一つです。

全盲というハンディを背負いながら、
その難関を見事突破し、日本で3人目の
全盲の弁護士として活躍する大胡田誠さん。

  「迷った時は心が温かいと感じるほうを選ぶ」

      大胡田誠(全盲の弁護士)

――実際の司法試験の勉強はいかがでしたか。

大胡田 大学4年生の頃から本格的に勉強を始めて、
    最終的に合格したのが29歳でした。
    足掛け9年の長い受験生活でした。

最初に半ば様子見で受験してみたら、
点字だと時間がかかって問題文すら最後まで読めなくて、
本当に大変な試験を目指してしまったことを痛感しましたね。

大学を卒業して一度静岡の実家に戻り、
3年間はほとんど山ごもりのように朝から晩まで
ずっと勉強ばかりしていました。

同期の仲間が次々と就職したり、結婚したりしていく中で、
毎日朝から晩までいつ受かるか分からない試験の勉強を続けるというのは、
いま振り返っても辛い時期でした。

――それでも途中で諦めることはなかったのですね。

大胡田 根が楽天的なところがありましてね。

どんなに大変な時でも、勉強さえ続けていれば
いつか受かるだろうという根拠のない自信があったんです。

それでも4回目の受験で失敗した時には
かなり落ち込みました。

このまま受験を続けるべきかどうか
随分迷ったんですが、その時に母が、

「迷った時には自分の心が温かいと
 感じるほうを選びなさい」

って言ってくれたんですよ。

母は5年半ほど前に亡くなって、
結局その真意を直接聞く機会はありませんでした。

けれどもいまになって思うと、
何か迷っている時には、損か得かとか、
人からどう思われるかとかいうことじゃなくて、
自分の心が求めているものに素直に従いなさいと
言ってくれたんじゃないかと思うんです。

母のその言葉と、サポートしてくれた仲間、
そして奨学金のおかげで私は勉強を続けることができ、
平成18年、5回目のチャレンジで
合格を果たすことができました。

――5回目のチャレンジで遂に。

大胡田 あの時は新しい司法試験制度が始まったばかりで、
    試験時間が4日間で36時間半と、
    体力勝負でもありました。

試験中、何度ももう駄目だと思う瞬間がありましたが、
その度に自分を応援してくれた家族や友達の声を
思い出して踏ん張りました。

その後の人生でもそうなんですが、ダメになりそうな時って
自分を支えてくれている人のことを思うと頑張れるんですね。

自分一人のためって限界があるけれども、
皆のために頑張ろうと思うと力が湧いてくるのを実感しています。
 
2015/03/16

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