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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.340a

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一語履歴 vol.340
努力はウソをつく 340a長所を伸ばす 340b風雪に耐え 340cその態度が
一語履歴 vol.339
彼(菊池雄星) 339a何でもない 339bこくご教科書  339c笑う門
一語履歴 vol.338
運が強いこと 338a一生料理 338b一ミリの努力 338c一人の人間として
一語履歴 vol.337
共有 337a若者よ 337b人柄 337c大きな自然の中
一語履歴 vol.336
運命を拓く 336a天の時 336b森信三 336c夢みたものは
一語履歴 vol.335
至誠の精神 335a実る前から 335b本当の事業は 335c人間力
一語履歴 vol.334
人生は 334a自分に正直に 334b出られるまで 334c一粒の麦
一語履歴 vol.333
実行せずして 333aやっぱり 333b辛い体験 333c経済や政治
一語履歴 vol.332
私も何か 332a組織が求めている 332b敬天愛人 332c思考に
一語履歴 vol.331
縁と情 331a時処位の自己限定 331b朝には 331c10年後にこの3人は
長所を伸ばす
        山下 俊彦(松下電器産業相談役)

松下幸之助が9歳で小学校を辞め、
故郷の和歌山から大阪に奉公に出てきて、
やがて電燈会社の見習工になり、
二股ソケットを考えたことはよく知られています。

そして、22歳のときに体をこわして勤めを辞め、
二股ソケットを作る仕事を始める。これもよく知られた話です。

二股ソケットはよく売れ、小学校を出た
13~14歳の子供たちを雇います。
従業員が2年後には10人、4年後には50人になりました。

自分が生活するために始めた仕事が、気がつくと、
人を使う身になっていたわけです。
松下幸之助は自分が大阪に出てきたころと引き比べ、
この子供たちは満足しているだろうかと考えました。

電燈会社に勤めたとき、自分は非常に嬉しく思い、
よい気持ちで働くことができた。
それは会社が安定していて、安心できたからです。

だが、工場の主人である自分は小学校だけで、しかも病弱。
これでは従業員が安心できるわけがありません。

従業員が気持ちよく働けるようにするにはどうしたらいいか。
松下幸之助は一生懸命考えて、一人ひとりに声をかけ、
長所をつかみ、それを褒めて伸ばしてやるように心がけました。

すると、従業員が生き生きとして、目の色が違ってきました。
しかし、これは難しいことです、人の欠点はいくらでも
目につきますが、長所はともすれば埋もれていて、
それを見つけ、掘り起こしするのはなかなかできないものです。

10年後、従業員は300人になりました。

自転車のランプや電気アイロンも作るようになり、
どれもよく売れ、生産が追いつかないほどでした。
しかしその間、松下幸之助がもっとも意を注いで
集中したのは利益向上でも増産でもなく、
全従業員の長所を引き出して褒めることでした。

すると期せずして、それが従業員にやる気を起こさせ、
利益や能率の向上につながっていったのです。

さらにその10年後、従業員数は4,500人になりまし
た。こうなると、全員の性格をつかむなどは不可能です。
それでも松下幸之助は目の届く限り、
褒めて長所を伸ばす心がけを怠りませんでした。

リーダーとして松下幸之助がもっとも専心したのは
このことだった、といっても過言ではありません。

「従業員を幸福にし、仕事に生き甲斐が感じられるようにする。
 これが経営者の何よりの務めだ」
 
2019.03.28

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