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至誠の精神 童門 冬二(作家) 吉田松陰はその学塾「松下村塾」で、 いろいろな教材を使った。 基本的には、松陰がテキストにしたのは 人間にとって毎日起こる身近な事件だったが、 松陰はそれを政治と結びつけ、 「なぜ、こういう事件が起こるのか、 起こさないためにはどうしたらいいのか」 ということを、弟子たちといっしょに考えた。 その松陰は、テキストのひとつに藤田東湖 の『正気歌』と『回天詩史』を使っていた。 松陰が生涯好んで口にしていた言葉は孟子の、 「至誠にして動かざるもの、いまだこれあらざるなり」 というものである。 松陰はこの言葉の実践のために自己の生命を 全部燃やしつくしてしまったのだといっていい。 松陰は東湖の『正気歌』と『回天詩史』の中に、 自分が信ずる孟子の「至誠の精神」の存在を認めた。 特に松陰自身は、自分でも気がついていたことだが、 「人間がいかなる状況においても至誠の精神を 貫き通すのには、場合によっては “狂”の力を借りることもやむを得ない」 と考えていた。松陰の性格には多分に そういうところがあった。そして松陰の見るところ、 「藤田東湖先生にも、その“狂”がある」 と思えたのである。東湖と松陰が長い時間を かけて語りあったことはないが、 そういわれてみれば東湖もおそらく、 「いや、吉田先生、おっしゃるように わたくしにも“狂”の精神があります」 と率直に認めたに違いない。 藤田東湖は敬三郎を藩主にした功績によって、 側用人に抜擢され、斉昭のブレーンとして藩政改革に努めた。 かなり思いきったことも行った。 |
2019.02.21 |
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