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どんなに苦しくても 塩沼亮潤(千日回峰行満行) 「おまえの帰ってくる場所はない。 しっかり行じてきなさい。 朝食が終わると母は、 私の茶碗やら箸やらを全部ゴミ箱に捨てました 塩沼亮潤氏が入山の日の朝にお母さんから掛けられた言葉です。 心の中では離れていく息子を心配しながら気丈に振る舞い、 厳しい行に向かう息子を送り出す母親の気持ちに 思わず涙した場面でした。 往復48キロの山道を16時間で大峯山1719メートルまで登り、 その日のうちに帰って来るという行は、一度行に入ると 体調が悪いからといって休むことは許されません。 万が一、行けない日があったら、行が失敗したとみなされ、 所持している短刀で腹をかき切るか、 腰に結わえてある「死出紐」で首をくくるか、 二つに一つの厳しい掟があります。 そして明日は千日回峰行満行という九百九十九日目の夜、 「自分は19歳の時に夢と希望に燃えて吉野へ来て、 右も左もわからずにお堂で泣いていた自分を思い出し、 そういう小僧の時の自分のまま永遠に時が続いてほしい」 という思いで色紙に書かれた「人生生涯小僧の心」という言葉 平成3年5月3日、目を開けた瞬間から 千日回峰行者になるための 自分の定めが始まりました。 目を開けると身体の重い日もあります。 調子の「いいか悪いか」ではなく、 「悪いか、最悪か」のどちらか。 そのスレスレのところを行じていくので、 起きた瞬間に足が動かない日もある。 1度行に入ると医者に行くことも許されません。 ある日、突然右目が充血して 腫れあがってきたことがありました。 1週間たってもどんな薬をつけても治らず、 徐々に不安が募ります。 どうしてだろう、といくら原因を考えても分からない。 その時に、当時23歳という若さゆえ、 命の1つや2つ落としても なんてことはないという気持ちでいた 自分のことが省みられました。 あんなに大きなことを言っていた人間が、 右目一つ霞んでくるだけで こんなにも不安になっている。 そう思った瞬間に、 「神仏から頂いたこの命は決して 粗末にしてはいけない」という 戒めだったのだと気づいたのです。 それから数時間後には目の腫れが引き、 次の日には元どおりになっておりました。 私が修行させていただいた 吉野の金峯山寺は特に山道が険しく、 真夏の暑さは大変厳しいものです。 ある時、目の前に1匹のミミズが半分以上 干からびて苦しそうにもがいておりました。 10メートルほど行った時、 このまま自分が見殺しにすれば 息絶えてしまうだろうと思いました。 水筒にはわずかな水しか残っておらず、 炎天下でどこにも水はございません。 しかし、いくら苦しいからといって、 自分のことだけを考えるようでは行者失格。 誰が見ていなくても、 すべて困っているものに 手を差し延ベてやるのが 行者としての役目ではなかろうか。 そう思い直し、 そのミミズの所まで戻って杖で穴を掘り、 自分の水筒の水を口に含み、 体にかけて土に戻してやりました。 そのようなミミズが数百匹はいるでしょう。 いまでも一番苦しかったと思うのは、 10日間高熱と下痢が止まらず、 体が10キロ以上痩せた時です。 495日目、とうとう一時間ほど 寝坊をしてしまいました。 高熱の中ふらふらになりながら滝に入り、 着替えをしてなりふり構わず山に向かいました。 しかしついに力尽きて、両の手に水を持ったまま、 地面に体を打ちつけました。 「ここで終わりか」 その瞬間、耳に響いた言葉がありました。 「どんなに苦しくても、砂を噛むような思いをして 立派になって帰ってこい」 高校を出て仙台から出発する前、 母に言われた言葉でした。 |
2017.10.19 |
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