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“3万6500朝”(棟方志功) なんといういい言葉だろうか。 100年生きたって僅か3万6500朝だ。 一朝だってムダにしてはならないんだと、 腹にしみわたるような言葉だ(坂村真民) 父母の恩の有無厚薄を問わない 父母即恩である (西晋一郎) 家庭の躾ができていない人は 主役級の俳優にはなれない (浅利慶太) 人に教えられたものは身につかない 自ら探して得られたものだけが自分の力になる (中川一政) 芸のゆきどまりを見せずして 一期を終るをまことの芸とす (扇ケ谷三郎) |
2013/05/17 |
私の子育て術 田中章二(和歌山県立和歌山北高等学校体操部顧問・ 和歌山オレンジ体操クラブ代表) 人の話をよく聞いたり、場の空気を読めたりする 精神年齢の高い子は上達も早いため、 そうした機会や課題をなるべく多く与えたいと考えてきた。 これは長男の和仁が三歳の時のこと。 スーパーへ行くと、キッズコーナーにお金を入れれば動く 電動式の乗り物があった。和仁は跨って遊んでいたが、 私は最初からお金を入れてやることはせず、 その日はそのまま帰ることにした。 次に行った時、和仁の目線の先に、 動いている乗り物で遊ぶ子供の姿があった。 和仁はその子が乗り物から降りるとすぐそちらへ駆けていったが、 止まってしまった乗り物はもう動いてはくれない。 三回目、和仁は自分は乗り物に乗ろうとはせず、 やってきた親子連れの姿を見ていた。 そしてその親がお金を入れて乗り物が動くところを 目にしたのだろう。 私のほうへ駆け寄ってきて、 「お父さん! あそこにお金を入れたら動くんや」 と実に嬉しそうに話をした。 その時、私は単にそうかとお金を渡すのではなく、 「おまえ、よう見抜いたなぁ! 自分で分からんことがあった時には、 まず周りをよく見ることが大事なんや。 おまえは凄い。きょうは好きなだけ乗せてやる」 とわざと誉めちぎった。 和仁は七回連続で心ゆくまで乗り物に乗った。 これと同じことがスポーツ指導にも言えるだろう。 大人に求められるのは子供が自ら考え、 答えを出すのをじっと待ってやることで、 端から正解を教えてしまっては本人の身にならない。 身体能力がいかに恵まれていても、 それだけで強くなっていけるのは 小学校六年生程度までがせいぜいで、 頭を使えない子は必ず行き詰まってしまう。 子供が持つ可能性は無限だが、 その能力を伸ばしてやるための環境づくりをし、 いかに本気に、真剣に取り組ませることができるかは、 我われ大人の役割であり、責任であると言えるだろう。 |
2013/05/16 |
いかに恐怖心と向き合うか 竹内洋岳(プロ登山家) 十四座完登というのは、 もちろん簡単に達成できる目標ではありません。 山というのは登る喜びもある一方、 一つ間違えれば命を落とす危険も内包しています。 では、その危険に対する恐怖心をいかに克服すべきか。 実は、恐怖心というのは克服したり 打ち消したりしてはダメなのです。 恐怖心があるがゆえに、それを利用して危険を察知し、 危険を避けて進んでいくのです。 私の中では、危険な体験を重ねる度に 恐怖心が積み重なっています。 しかし恐怖心が増すということは、 危険に対するより高感度なセンサーを手に入れるようなもので、 決して悪いことではないと思っています。 これから起こりうる危険を、いかにリアルに想像できるか。 その感覚をどんどん研ぎ澄ましていけたらいいと思っています。 もちろん、登山で相手にするのは大自然という、 人間のコントロールを超える存在です。 いくら自分が登ろうと意気込んでも、 天候に恵まれるなど自然の了解を 得られなければ登ることはできません。 私たちにできることは、自然の了解が得られた時に すぐアクションを起こせるよう十分な準備をしておくことです。 登山の準備で大切なことも、やはり想像力です。 それは頂上に到達できるという想像ばかりでなく、 到達できずに引き返すという想像であり、 時には死んでしまうかもしれないという想像です。 そして死んでしまうかもしれないという想像ができるなら、 どうすれば死なずに済むかという想像をする。 死なないためにいかに多方面に、多段階に、 緻密に想像できるかということを、 私たちは山の中で競い合っているのです。 ゆえに想定外というのは山の中では存在しません。 想像が及ばなかった時、登山家は命を落とすのです。 |
2013/05/15 |
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