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[チベットから嫁に来た歌姫] チベット声楽家 バイマーヤンジン 私は今各地の小学校や、中学校で、話をしたり、歌を歌ったりしておりますが、 今度「チベットの心」という民謡のCDを出しました。日本の長唄に少し似てい ます。そして、やはり草原や山が多いので、モンゴルの歌にも似ていると言われ ます。チャリティなどをして、これまでに、チベットに小学校を八つ、中学校を 一つ作って、2000人以上の子供たちが元気に勉強していてくれてます。 今から15年、20年先をとても楽しみにしてます。この動機は日本から受けた 刺激です。子供の小さい時はやはり働くよりも勉強して、基礎知識を身につける 場所が大事だと思ったからです。その場所を大人が提供するのが本当だと思った からです。日本の皆さんも、その伝統があって、今日の発展があるのだと思いま す。その意味で、日本の方の共感を得て、多くのご支援をいただき、最初は20 年で一校くらいと思ってたのが自分でも驚いております。努力したら出来ると、 私自身びっくりしました。 今日は、私が日本人と結婚して、日本に来て、主人の両親と一緒に、11年暮ら してますが、そのことについてお話ししたいと思います。 特に日本とチベットとの文化、社会、生活面での相違について、いろいろと感じ たことをお話しします。 私、小さい時は、勿論、日本人と結婚して、日本に来るなんて、それこそ夢にも 考えたことはありませんでした。 主人の仕事の都合で、日本に来るようになった時、まだ日本語も余りできなかっ たので、慌てました。その時に主人から聞いた日本の印象と、中国で聞いた日本 に関するうわさの余りの違いにびっくりしました。 「あなたは、日本に行ったら苦労するよ。日本の女性は家庭から一歩も外には出 ないで、じっとご主人が帰って来るのを正座をして待っていて、礼儀正しくお迎 えするのよ」という噂を聞いていました。ところが日本に来て、本当に家の中で じっと座っているかと思ったら、街を、綺麗に着飾って歩いているのは、ほとん どおばさんばかりでしたので、驚きました。 でも日本の主人の両親は、初めての外国人の私なのに、一つもいやな顔をしない で、すうっと受け入れてくれたので、とても嬉しかったです。そこで、私はこれ からも一生懸命に好きになってほしいので、家事はお任せ下さいとはりきったの ですが、なんと掃除をしようとすると、掃除機があり、洗濯をしょうとすると自 動洗濯機が、ご飯を炊こうとすると、自動炊飯器、後片付けをと思ったら、皿洗 い機がある。パンは一々作らなくても、店から買ってくるし、焼くのもパン焼き 器でチーンとできます。お湯も沸かすことなく、ポットでちゃんといつでも熱湯 が出てきます。家中がピー、ピーといって怖いくらいでした。 ママは優しく「大丈夫、大丈夫。ご飯が炊けたよ」といってくれますが、夕方に なったら、又、ピーと鳴りました。「何だろう?」と思ったら、今度はお風呂が 沸いたんです。まったく、嫁さんが要らない世界です。 これでは、人間が遊んでいて、機械だけが働いている。出来上がったら知らせて くれる。私は正直、まるで天国に嫁に来たのかと思いました。 しかし、天国といっても、自分の考え方で違うと思う。私は言葉も知らないし、 外国旅行に行ったこともありません。チベット語か中国語か、英語で言ってくれ たら判るのですが、それは無理なので、私が勉強しないといけないと思って、本 を買ってきて、日本語を覚えようとして努力しました。そして、両親に話しまし たら、「あかん、あかん、かまへん、かまへん」と言われました。ところが本に 載ってないのです。又本屋に行って、大阪弁の本を買ってこないといけないので す。夢にも思っていませんでした。 もう一つ、驚いたのは、家庭の中に自分の部屋、お父さんの部屋、お母さんの部 屋、居間、応接間、台所、二階は昔いたお姉さんの部屋、主人の部屋・・・と4 畳半、6畳と小さな部屋がたくさんあることです。家・なのに、なぜ一緒にいな いのか。 お父さんは停年になって自分の部屋に入ったままなのです。私は少しでもお父さ んといろいろ話して、早く仲良くなってもらいたいのです。ところが日本のお父 さんはしゃべらないのです。 この間、お父さんの部屋に行ったら、テレビがつけっ放しになっていて、お父さ んはソフアーで寝ているのです。それで勿体ないと思って、消したのです。とこ ろが消したらお父さんが起きたのです。そして「見てるのに、何故消すのだ」と 怒るのです。私はお父さんが寝ているのを見たから、無駄だと思って消したので す。ところが、「見てる見てる」と言うのです。つけたまま眠り、消したら起き るという神経が、わからない、どうも矛盾していると思うのです。 もう一つは晩御飯です。4人揃って、とても嬉しいのです。いろいろと話しなが ら楽しく過ごしたいと思ったのです。ところがみんなテレビを見ながら、「ハッ ハッハア」と笑いながら、ついでにその開いた口に、おいしいお米の一粒、一粒 を入れるのです。光っているお米の一粒、一粒が私たちに向かって笑っているの に、失礼じゃないかと思うのですが、会話が余りないのです。テレビを台所から 撤去して、みんなでおいしく、楽しく会話しながら食べたいなと思いました。チ ベットではそうでした。 食べ物文化も違うのです。 チベットは海がないので、川だけです。勿論川の中に魚はいますよ。おまけに水 葬といって遺体を川に流す習慣が昔からありますから、魚は食べてはいけないと いうことになっています。釣りも禁止です。 ところが魚を尾頭付きで、しかも焼き焦げがついたまま、でんと食卓に出ている のです。思わず、「駄目ー」と言って、立ち上がりましたら、お父さんが「座れ ー」と怒鳴りましたので、座りましたら、目の前に魚の目が睨んでました。 「ああ、このお魚の眼はまだ生きてる」と思って 「ホンマニベエ、ホンマニベエ」とお経をあげたら、お父さんが「うん、うん、 えへん」とにらむのです。 もっと驚いたのはチリメンジジャコを食べているのです。大人の魚ならまだしも ですが、赤ちゃんのまま食べているのです。まだこれからの一生が長いのに、赤 ちゃんのうちに食べてしまったら一体どうなるのだろうと心配なのです。 そのことを言ったら、「何言うてんね。カルシュウムや」と一蹴されました。 一時期、絶望しました。 その時、礼儀、習慣が違うのは当たり前だと思うのです。 でもよく考えてみたら、主人が初めてチベットの私の実家に来た時の話ですが、 母が体調が悪いところに一所懸命に料理したのが、牛の頭の丸ごと湯がいたもの でした。そしたら、主人が「えっー」と言って逃げ出したのです。それを連れ戻 してきて、まず、頬肉をつちて、出して、あごをぐっと開けて、舌を引っ張り出 して、お父さんがみんなに切ってあげたのです。 そして一番美味しいところなので、目玉を食べてもらいたいと思って、指を突っ 込んで抉り出したんですが、又、逃げ出したんです。 チリメンジャコが体が透き通っていて、可愛い目玉が二つあるのに、赤ちゃんの まま、可哀想じゃないかと言ったら、主人が牛の目玉とどっちが大きいかと言い ました。 それを聞いた時、私はハッと、チベットの文化と日本の文化の相違について、目 からウロコが落ちたような気がして、目が覚め思いがしました。 日本は周囲を海に囲まれているのですから、これまでに多くのご先祖さんが海の 幸のお蔭で、繁栄をしてきたわけですから、それを海のない国からやってきた外 国人がいきなり、「チリメンジャコを食べちゃ駄目ーっ」と言ったりしたら、い けないことだと思ったのです。 「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、他人の私があれは駄目、これ は駄目というべきではないのです。 日本の家族と仲良く生活して、文化の違いを素直に受け止めていくことが大事な ことと思いました。 主人を信じて結婚したのですから、心を正しくして、日本料理を好きになり、今 では鮪と鯛が大好きになりました。わさびと納豆も食べるようになりました。毎 朝の食事はご飯と納豆と味噌汁です。お母さんはパンとコーヒです。どっちが日 本人なのと、たまには聞いてみたいと思います。何か変な気がしますが、いつの 間にかこうなってました。 慣れよう、慣れようとしているうちに11年経ちました。姑関係もうまくいって ます。お父さんとも勿論です。 近所の方が、私が主人の両親と一緒に住んでいるのを見て「あなた偉いわねえ」 と言うんですが、私には不思議でたまらないのです。別にライオンや虎と一緒に いるわけじゃないのに、なぜ、そんなことを言うのだろうと思うのです。 私は主人を愛し、信じて好きになって、結婚したのです。その人を産んで下さっ て、今日まで育てて下さった両親を大事にするのは、当たり前のことなのに、な ぜ偉いというんでしょうね。 なんで、今の日本では、愛する夫の、その親と一緒に住むのを嫌がるなんて、ど うしても信じられないのです。 年配の人で、保険金、年金、貯金も大事かも知れませんが、「嫁の世話にはなり たくない」と言ってる人もいますが、何よりも人間同士の愛情が一番大事だと思 うのです。 今年の秋、私の初めての赤ちゃんが産まれる予定なのです。幸せ一杯の気持ちで す。主人のお父さんは、もう亡くなったのですが、お母さんと、91歳のおばあ ちゃんと、主人と、私の4人の愛情をたっぷり受けて育ってほしい。私も正しい 人間に育てていこうと思っております。 幸せな家庭の集まりが社会ですから、その家庭を大事にしていこうと思ってます 。私はこれからも両親を大切にして、子供も是非、社会が揺れても平和な家庭の 中で、人間を愛せるような、人間を信ずることができるように、大事に育ててい きたいと思ってます。 あんなに便利で時間がたっぷりあるのに、皆さんが子育てが大変だ、大変だと言 ってますが、チベットでは、子育ての前に牛育て、羊育てという仕事がまずある のです。 |
2013/05/07 |
[メダリストになれた] ソウル五輪シンクロデュエット銅メダリスト メンタルスキルコンサルタント 田中 ウルブエ 京 私は10歳の時からシンクロを始めましたが、今日は心理学用語でいうところの モチベーション、(動機づけ、やる気)ということについてお話したいと思いま す。どんな風なやる気でオリンピック選手生活を送ったかということについてお 話しします。 やり始めた最初の頃は、新しい技を覚えた時、こんな風な足の伸ばし方、クルク ルスピンの大技、新しい水の掻き方ができた。それによって試合に勝てた。そん なことが嬉しくて、やる気の原点だったような気がします。 高三になった頃、84年のロスアンジェルス五輪で、初めてシンクロが公式種目 になり、先輩達が銅メダルで頑張っているのを見た時、私も4年後のソウル五輪 に出たいなという目標が具体的になったような気がします。 同時に、それまでの3年間、朝5時からの朝練、夜は又、放課後9時までの練習 で、当然勉強を犠牲にしてきたことの代償として、それなりの結果を出したいと いう欲望に変わってきました。 ここまでやってきたのだから、何か結果を残そう。 日大、文理学部体育学科の大学4年になり、いよいよ結果を残すための練習とな ると、一生懸命にやり、高三の頃とは、質の違った練習になりました。 大学1年で目的は決まっていたが、やる気の方向が又少し変わったと思います。 ライバルとして小谷実可子さんとは、10歳の時からですが、同じ年で、同じ身 長、同じ体重で、また大学で一緒になりました。小谷実可子さんがちょっと上な ので、追いかけながら、あとちょっとで勝ちたいなと、どんどんエスカレートし て、いやな感情を含めて、何とかして勝ちたいという気持ちで一杯でした。 モチベーション、英語でMotivation,やる気を分析してみると、 1.ネガティブな感情・・・即効性はあるが、持続性はない。 2.ポジィティブな感情・・即効性はないが、持続性はある。 中・高生の頃の勝って嬉しい、新しい技を覚えて嬉しいとか言うのは、ポジィテ ィブなものですが、即効性はないが、持続性はある。 ところが大学になってからは、小谷実可子さんに勝ちたい、他人にもっと自分を 認めてもらいたい、気持ちの方向が、シンクロを楽しむのではなく、絶対に勝負 に勝ちたい。負けず嫌いでええ格好しいの形が出てきたのです。もっとも、スポ ーツをやる者はみんな多かれ少なかれ、そういう気持ちを持っているものです。 これは当たり前のことです。 理由があります。ロスからソウルになって、最初の1年でシンクロがメディアに 取り上げられはじめたのですが、小谷実可子さんだけが、新聞やテレビの画面に 出る回数が多くなり、大学1年の自分がなぜ出ないのか。 悔しかった、羨ましい、つまらない。私だって出させてよ。おそらくその本当の 気持ちを認識しようともしなかったし、感じようとしなかったと思います。 何か悔しい。今に見ていろ。妬み、羨ましい、悔しいという気持ちでした。 一見どろどろした、ネガティブなことのようですが、決して悪いことばかりでは ないと思う。それなりの効果があるのです。 いわゆる「火事場の馬鹿力」という諺があるように、悔しいと言うような気持ち をバネとして、即効性があると思う。 実際、大学2年になる1ヶ月前、86年に日本選手権で、私がソロでチャンピオ ンになったのです。私自身がせめて、3位にはなりたいなと思ってた時に、一位 になれたのですから、正直、嬉しかったです。実力で100%出し切ったから嬉 しいではなく、単純に勝ったから嬉しかっただけです。 記者会見も開いてくれる、というような非常にレベルの低いところの嬉しさで、 持続性はないのです。その時が過ぎたら、翌日から、なんの為にやるのか、次に 何を材料とすべきか。 ただ、ネガティブにはマイナスもあります。持続性がないのです。 本来は、日本一になったのなら、次は世界一をターゲットにするべきなのですが なかなかその気持ちが起きてこないのです。 案の条、あっさりと一年後に負けました。その時、何を感じたかと言うと、小谷 実可子さんに負けたことが悔しかったというよりは、自分がこの一年間、空回り の練習をしてなかったか、が悔しかったです。 シンクロを始めた時の達成感、良く出来たということの嬉しさ、ポジションの維 持が楽しかったのではないかと気がつきました。 即効性はないが、今日の自分より、明日の自分を目指す。普通の競争は目の前に 目標のアンパンがあるが、これは自分の中に目標のアンパンがあるから、比べる ものがないから、物差しを自分で持って、一分一秒を真剣に、昨日より、今日、 今日よりは明日の自分と、戦い続ける決心です。小谷実可子さんとか、伊藤恵さ んとかと、比較するのではなく、練習はみっともないくらいにがんばっていく。 練習こそ、ボロボロになって続けるのが一番大事だと思います。これは何もスポ ーツだけの問題じゃなく、他人と比較自分を比較いてはいけない。 ええ格好しいを外に出すのではなく、内側に向けるのが大事なのです。 一人一人が自分の最大限と比較して、自分の目標は自分で決める、ということで す。そうするといじめもなくなると思う。 人間は自分に自信を持っていると、他人を傷つけない。 見出すことでホッとする。ひたすら自分のゴールだけ見つめてやることが大事だ とすると、ネガティブもたまにはいいこともあると思います。 本当の意味におけるオンリーワンになっていくのではないでしょうか。 |
2013/05/07 |
[天に一番近い大地チベット] チベット声楽家 バイマーヤンジン チベット人が今、大阪に二人、東京には約50人くらいおります。中国の音楽大 学に留学生として来ていた、チベットが大好きな日本人の主人と縁あって、結婚 して日本に来てから、丁度11年になります。チベットはヒマラヤ山脈の麓で、 標高は4200メーターで、富士山の3776メーターより高いところです。 一日に四季があるといってもおかしくないと思うのです。日中は半袖シャツで過 ごせていても、日が暮れたら真夏の8月で5、6度になるのです。今日は基本的 なチベットの文化について、どこにあるかということについて、お話ししたいと 思います。 私が「チベットから来ました」と言うと、「へえ、どのへんですか?モンゴルで すか?」とよく聞かれます。なんで、チベットと言ってるのに、モンゴルと言わ れるのか、とても驚きました。 こうやって民族衣装を着ていたら、外国人と見られますが、普通の服を着ていた ら、日本人とそっくりと言われます。もっとも、言葉はまだ完全ではありませんが。 先日、日本の田舎に旅行した時ですが、とても人情味豊かで、親切な人達ばかり でした。いろいろと話しているうちに「ここはとても辺鄙なところにあって、交 通の便が悪くて、冬はとても寒くて、何にもなくて、日本のチベットと言われて ます」と言われて、びっくりしました。ああ、チベットというと、何も無いとこ ろというイメージしかないのだなと思いました。本当にびっくりしました。 実はチベットは決してそんなに何もないところではありません。中国のチベット 地区で、そのほかの青海省や、甘寧省と、四川省の一部、雲南省の一部で、面積 は日本の6倍くらいです。 それに引き換えて人口は僅か600万人で、人口密度は、日本は一平方キロ当た り、333人ですが、チベットでは2人から3人です。ですから土地が安いので ので、家を建てるのでしたら、どうぞチベットに来て下さい。 文字は漢字ではなく、7世紀からサンスクリット語からの文字を持っています。 中国には56民族があるのですが、チベットには自分達の言葉を持っています。 「こんにちは」は「ジャシーデレ」、「有難う」は「トチエナン」と言い、数を 勘定するのは、非常に日本語と似ています。 よく似ている点はありますが、文化としてはやはり、違っている点はあります。 先だって、私の親がかなり身体の状態が悪いという連絡があって、主人と二人で チベットの実家に行くことになりました。 成田から、上海まで飛び、更にそこから、四川省の成都に飛び、今度はバスで順 調にいったら二日間で着きます。 主人に大丈夫と聞きましたら、「僕は空手をやっているから、自信がある。心配 しないでくれ」というので、一緒に行きました。 ところが、彼の考えていたバスは、日本の高速バスだったのです。ところがチベ ットのバスは違うのです。窓ガラスはほとんど割れてます。トイレも勿論ありま せん。一人では駄目で何人かが一斉に要求したら停まってくれるのです。通路に 荷物を置いて、尚、その荷物の上に人が座るという状態です。 やっと着いたのですが、その翌日、主人の顔色が紫色になって、毛穴も少し開い ているのです。そして胸苦しい、息ができないと言うのです。吐き気がする。す ぐ病院に行き、診てもらったところが、高山病でした。 富士山は3776メートルですが、チベットは「天に一番近い大地チベット」と 言われるように世界の屋根みたいなもので、標高が4200メートルだから、酸 欠状態に近いわけです。三日間、酸素吸入や点滴をして、大変でした。親が危篤 だからと見舞いに行ったのですが、反対にその親が、杖を突きながら、お見舞い に来てくれました。 今までの生活環境によって違うと思うのですが、主人が「とても寒い、寒い」と ブルブル震えているのです。私としては1月で冬だから寒いのは当たり前だと思 っていたのですが、何しろ、天気予報の無い所ですし、機械も無いところです。 そこへ主人が温度計を持ってきてたので、計ってみたら、-26.2 度でした。やや 暖かいなという日で、 -20度でした。そこで、早速チベット風の暖かい服装を主 人に着せました。チベットでは、その厳しい自然に対して戦っているのです。 それに引き換え、格段に暖かい日本で、暖房したり、コタツにはいったり、懐炉 まえ使っているのが、私にとっては不思議に思えるくらいです。 恐らく皆さんも、一週間くらいチベットに行ってみたら、感覚が変わると思いま す。そこに10日間いたわけです。食べ物は日本でいう麦焦がしが主食です。朝 からバターが入ったお茶、いわゆるバターティを飲むのですが、40近い主人は かなり参ったようでした。 日本の空港に近づいたとたんに、窓から、外を眺めて、 「ああ、着いた、着いた。やっと日本に帰ってきたぞ」と大喜びでした。そして 主人はすっかり元気になり、今までフラフラしてたのが、サッサと歩いて、家に 帰ったらすぐシャワーをジャンジャン浴びて、 「ああー、いい気持ちだ」と大ハシャギでした。何しろ、10日間風呂に入って ませんでしたから、ムリも無いと思いました。 味噌汁をのみ、ご飯を食べて、 「おいしい、おいしい。これが日本の味だ。それに冬でも野菜ができるし」と言 って、何杯もお代わりをするのです。途中から私には嫌味に聞こえました。でも 考えてみたら、私の故郷に10日間いただけで日本の良さに気づいてくれて、良 かったと思っています。皆さんも、もし日本が嫌になったらチベットに来てみて 下さい。 父母、祖父母、その又ずっと遡った祖先のおかげと、チベットの大地のおかげで 必死になって生きてきたからこそ、たとえ麦焦がしを食べてもこうやって、人並 み以上に大きく育ち、川の水、井戸水や牛のミルクを飲み、手も大きいし、何一 つ損した覚えはありません。 親のおかげで教育も受けることができて、結婚もできた。そして日本に来てから 11年経ちましたが、日本もよかったが、チベットもよかったと思っている。 故郷を離れて初めて良さがわかった。日本もこんなに豊かで良いところなのに、 文句を言い、若いのに自殺をするのは許せない気がします。ご先祖様が泣いてい ると思います。 神様に感謝してこれからもチベットと、日本のよさを感謝しつつ、お互いに見詰 め合って生活をアップしていきたいと思います。 |
2013/05/07 |
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