本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0246-65-2311

〒979-0154 福島県いわき市沼部町鹿野43

一語履歴WORD vol.186c

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
⇦前 一語履歴 次⇨ 
一語履歴 vol.190
越境する 190a受刑者たち 190b絶対に 190c努力する...~能力の差
一語履歴 vol.189
願いに生きる 189a一番大切な 189b人を偲ぶ 189c部下指導の成功
一語履歴 vol.188
特攻で散った 188a失敗のすすめ 188b誓願 188c思いやりの心
一語履歴 vol.187
運命的な出会い 187a凡事徹底 187b次代を読む 187c普段の...~一度
一語履歴 vol.186
足りない 186a天が味方 186b登呂遺跡 186c土光敏夫の母
一語履歴 vol.185
人生を照らす 185a人生をひらく 185b心に響く 185c能力の差
一語履歴 vol.184
唾液と健康 184a本を読む 184b魔法の言葉 184c子ガンジー
一語履歴 vol.183
坂村真民 183a古典の輪読会 183b銀座久兵衛 183c理想の教師像
一語履歴 vol.182
がんの神様へ 182a童話に 182b心の目が 182c長く発展する会社
一語履歴 vol.181
生きる...~一人前と 181a一筋の道 181b折れない心 181c鉄は...~師に
土光敏夫の母・登美の一生
              出町 譲(作家・ジャーナリスト)

土光敏夫。言わずと知れた戦後日本を代表する経済人です。
その多大なる功績に関する著作は多く世に出ていますが、
母・登美の存在はほとんど知られていません。

ある映像が残されている。

昭和61年11月5日、
行政改革の旗振り役だった土光敏夫に、
民間人として初めて生前に
授与されることとなった、
勲一等旭日桐花大綬章の授章式の様子だ。

皇居宮殿の正殿に現れた
当時90歳の土光は、
式部官に車椅子を押されていた。

ところが勲章を渡そうとする
昭和天皇を前に、土光は車椅子から
何度か立ち上がろうとする。

おそらく昭和天皇に対して、
自分が車椅子に
座ったままでいることを
失礼だと思っていたのだろう。

前月に頭部の手術を受けるなど、
土光の体は既に立つことすら
ままならない状態だっただけに、
私はその姿に心打たれる思いで見ていた。

この叙勲に関して、
土光は次のようなコメントを残している。

「私は『個人は質素に、社会は豊かに』
 という母の教えを忠実に守り、
 これこそが行革の
 基本理念であると信じて、
 微力を捧げて参りました。

 幸い国民の皆様の
 理解と協力を得られ、
 私の役目をつつがなく
 了えることができました。

 今回の受章を国民の皆様と共に
 心から喜びたいと思います。

大企業の社長として
次々と手腕を発揮し、
後に行革を通じて国家の再建に
死力を尽くした土光にとって、

「個人は質素に、社会は豊かに」

という母の教えは、
いわば最大のポリシーだったのだろう。

人生最後の晴れ舞台で
母の教えを語るということは、
それほどまで母の存在が
土光敏夫という一人の人間にとって
大きなものであったと
窺い知ることができる。
 
2016.02.04

バナースペース

櫛田建設株式会社

〒979-0154
福島県いわき市沼部町鹿野43
Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-65-2311
FAX 0246-65-2313
定休日:土曜日・日曜日