本文へスキップ

      次代に輝く住まいを創る

TEL. 0120-815-711

〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.186

過去の一語履歴を見ることが出来ます。

一語履歴 HOME
 
一語履歴 vol.190
かつてない困難からは...
一語履歴 vol.189
相手は年上、しかも嘘もついて...
一語履歴 vol.188
あるスポーツ選手とそのお母さんの...
一語履歴 vol.187
一度やり始めたら...
一語履歴 vol.186
戦後日本を代表する経済人...
一語履歴 vol.185
能力の差は5倍、意識の差は...
一語履歴 vol.184
子どもたちが目を輝かせて聞く...
一語履歴 vol.183
教師が学び合う...
一語履歴 vol.182
長く発展する会社の条件...
一語履歴 vol.181
師に遇うも覚らず...
土光敏夫。

言わずと知れた
戦後日本を代表する経済人です。

その多大なる功績に関する
著作は多く世に出ていますが、
母・登美の存在はほとんど
知られていません。

◆ 土光敏夫の母・登美の一生 ◆

出町 譲(作家・ジャーナリスト)

ある映像が残されている。

昭和61年11月5日、
行政改革の旗振り役だった土光敏夫に、
民間人として初めて生前に
授与されることとなった、
勲一等旭日桐花大綬章の授章式の様子だ。

皇居宮殿の正殿に現れた
当時90歳の土光は、
式部官に車椅子を押されていた。

ところが勲章を渡そうとする
昭和天皇を前に、土光は車椅子から
何度か立ち上がろうとする。

おそらく昭和天皇に対して、
自分が車椅子に
座ったままでいることを
失礼だと思っていたのだろう。

前月に頭部の手術を受けるなど、
土光の体は既に立つことすら
ままならない状態だっただけに、
私はその姿に心打たれる思いで見ていた。

この叙勲に関して、
土光は次のようなコメントを残している。

「私は『個人は質素に、社会は豊かに』
 という母の教えを忠実に守り、
 これこそが行革の
 基本理念であると信じて、
 微力を捧げて参りました。

 幸い国民の皆様の
 理解と協力を得られ、
 私の役目をつつがなく
 了えることができました。

 今回の受章を国民の皆様と共に
 心から喜びたいと思います。

大企業の社長として
次々と手腕を発揮し、
後に行革を通じて国家の再建に
死力を尽くした土光にとって、

「個人は質素に、社会は豊かに」

という母の教えは、
いわば最大のポリシーだったのだろう。

人生最後の晴れ舞台で
母の教えを語るということは、
それほどまで母の存在が
土光敏夫という一人の人間にとって
大きなものであったと
窺い知ることができる。
 
2016/02/04

戦後、夢を失いかけていた
日本人に夢とロマンを与えてくれた
遺跡の大発掘がありました。

教科書にも必ず出てくる
あの登呂遺跡です。

◆ 登呂遺跡が日本人に残したもの ◆

大塚 初重(考古学者)

指示されたところを掘っていくと、
木の杭が次々と出てくるんですよ。

でも最初はまさかそれが
2,000年前の杭とは思わないわけだけど、
どうやら弥生人が遺した
住居の周りに打ち込んでいた木だ
ということが分かってくる。

我われの先祖が、
静岡平野の一角で山から
伐り出してきた木を
打ち割って細かい杭にして、
それを住居の周りの壁に営々と
打ち込んでいたものを掘っているとね、
だんだん涙がこぼれてきた。
  
──涙が。

日本は戦争に負けたんだけど、
遠い昔からこの地に
我われ日本人が住んでいて、
その跡をいま自分たちの手で
掘り出しているんだという感動は、
お金とか食べ物とかってことと関係なく、
心が綺麗に洗われるような思いでした。

──遺跡の発掘が夢を
  与えてくれたわけですね。

実際、登呂遺跡の発掘というのは
戦後日本における最初の大発掘でね。

昭和22年の7月13日に発掘が始まって、
翌月6日には皇太子殿下が
現場に来られているんですよ。

そうしたら皇太子殿下が
見に行かれたというので、
今度は代議士たちも
10何名で見学に来ましてね。

その後も歌人の佐佐木信綱先生とか
有名な作家さんをはじめ、
全国から見学者が次々と
発掘現場に訪れたんです。

──それはすごいですね。

だからこんな遺跡、他にはないですよ。

そういう意味で登呂遺跡の発掘が
日本人の心に触れたというか、
敗戦国日本に生き甲斐を
与えたのではないかと
いまでも思っているんです。

それに国民全体がこれから
どうやって生きていけばいいのか
という時期に、東京の各大学が合同して、
食い物も十分にない中で
学生たちがすきっ腹で懸命に
掘っているということが、随分と
国民に感動を与えたようですね。
 
2016/02/02

小柄な体格ながら
17年間の現役時代に
世界ランキング
シングルス8位、ダブルス1位
という日本人屈指の記録を残した
元プロテニスプレーヤー・杉山愛さん。

◆ 天が味方をしてくれる生き方 ◆

杉山 愛(元プロテニスプレーヤー)
    ×
村上和雄(筑波大学名誉教授)


【杉山】
自分のすべての力を出せた試合でした。

試合で何が一番大事かっていうと、
やはり自分の力をどこまで
出せたかにあると思うんです。

たとえ負けたとしても、
自分の力を出し切って
負ける試合というのは、
どこかちょっと
清々しさがあります。

出し切るということは、
何が自分に足りないかが明確になって、
次はここを磨けばよりよいプレーに
なるだろうというヒントを
与えてくれるわけですから。
 
それだけに自分のすべての力を
出し切って勝てたというのは
本当に嬉しかったですね。

【村上】
そういうすごい試合をされるには、
もちろん才能とか実力も
あると思うのですが、
そういうものを超える何かが
あるような気がしたことはありますか。

【杉山】
それはしますね。
何かこう違う力というか。

【村上】
天が味方をしてくれるとか。

【杉山】
そういったエネルギーみたいなものを、
勝利の女神と言うのではないでしょうか。

もっともどれだけ足掻いても、
振り向いて微笑んで
くれないこともありますけど、
普段の過ごし方や心の持ち方、
考え方など常に前向きにして生きていると、
そのご褒美をもらえる時があると思います。

【村上】
それは科学の世界にもあるんですよ。

細菌学者パスツールが

「チャンスは備えのあるところに訪れる」

と言っているように、
勝利の女神が微笑むには
それに見合った準備が必要で、
そこに理屈を超えた
天の味方みたいなものが現れると。
 
2016/02/01
足りない、
足りない、
工夫が足りない

木村秋則(リンゴ農家)

実は、以前見たことがある戦時中の新聞に、
こんな言葉があったんです。

「足りない、足りない、工夫が足りない」
って。

私はいつも、この言葉が頭にこびりついて離れないんです。

結局さ、自分のやったことが間違っているから
(りんごの木の)葉っぱが落ちるんですよ。
間違っているから虫が集まるんですよ。

それを見て、女房が悪い、天気が悪いって、
ほかに責任を転嫁する人が
いまはあまりにも多いと思うんです。

そうじゃなくて、自分が悪いんだと。
自分が勉強不足なんだ、観察不足なんだ、
ということなんです。
 
2016/01/31
2016/01/31

バナースペース

展示場 櫛田建設株式会社

〒971-8134
福島県いわき市鹿島町飯田字八合22
福島テレビハウジングプラザ内

Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-76-0255
FAX 0246-76-0256
定休日:水曜日