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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.056a

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父を助けて下さい 博多通りもん 医師からの宣告 (人という字...)
人生一生のドラマ
     森 士(もり・おさむ=浦和学院高等学校硬式野球部監督)

二〇一三年四月三日、春の甲子園で
我われ浦和学院高等学校は初めて頂点に立った。

苦節二十二年――。
振り返るといろいろなことが頭の中を駆け巡る。

その都度目の前に敵が現れ、
思うようにいかないことの連続であったが、
生徒や家族、守るべき存在がいたからこそ
頑張ってこられたのだろう。

今回優勝できた一番の要因は私自身の意識にあると思う。
まだまだ未熟だが、やはりトップに立っている
人間の器を広げないと組織は伸びていかない。

教育とは自分自身を磨くことだと日々実感している。

甲子園優勝は夢のような瞬間だった。

しかし、それ以上に私が誇っていることは、
この二十二年間、春夏秋とある埼玉県大会で
決勝戦に行っていない年が一度もないということだ。

毎年生徒が入れ替わる高校野球では、
時としていい選手が集まらないこともある。

だからといって、「今年は諦めて来年勝てばいい」という
チームづくりは一切してこなかった。

集まってくれた生徒が常に主人公であり、
とにかくいま目の前の代に懸ける。
その積み重ねが成果に繋がったのではないだろうか。

私が今日あるのは上尾高校時代の恩師・野本喜一郎監督が
いてくださったからに他ならない。

大学時代、私は怪我に泣かされ、
このまま選手として続けるか、指導の道に進むか悩んでいた。

野本監督は上尾高校から浦和学院高校に移られていたが、
そんな時、野本監督から
「もし指導者を志すなら、手伝わないか」と
声を掛けていただいた。

ところが、である。

大学四年の時、野本監督はすい臓がんで亡くなってしまった。
その年、浦和学院は初の甲子園出場を果たし、
ベスト4まで勝ち進んだのだが、秋の大会では一回戦負け。

選手たちは恩師を亡くした悲しみに
打ちひしがれていたようだった。

そんな彼らの姿を見た時に、学校さえ違うものの、
同じ師のもとに集った一人の人間として、
残された後輩たちに何か手助けができないだろうかと思い、
師の亡き後の浦和学院高校を守り立てようと決めた。

五年間のコーチ指導を経て、
監督に就任したのは一九九一年、二十七歳の時。

以来、負けたら終わりという勝負の世界に
ずっと身を置いてきた。

その中で何が勝敗を分けるのかと考えると、
それは瞬間的集中力の継続、に尽きるのではないかと思う。

私はよく生徒たちに
「野球とは人生一生のドラマを二時間に凝縮したもの」
と言っている。

その時その時の決断が後の人生を大きく左右するように、
野球の試合も一瞬のパフォーマンス次第で
状況は目まぐるしく変化していく。
 
2013.08.12

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