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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.050

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一語履歴 vol.050
もう駄目だ... 050aあなたならできるから...
一語履歴 vol.049
健康の三原則...チャンスを呼び寄せた... 049a笑う者の運命...無限の力...
一語履歴 vol.048
金メダルを取るために...江戸時代のメンタルヘルス 048a人生のチヤリーダー...
一語履歴 vol.047
不機嫌は怠惰である...36歳の西郷隆盛 047a100歳を迎えて...
一語履歴 vol.046
恥を...失敗...会社...プロは...怠け...背中... 046a高遠...若者...人間....生きる...
一語履歴 vol.045
両陛下の生き方...クリエーター... 045a酔いは一瞬で覚めた...
一語履歴 vol.044
常岡一郎... 044a言葉が育つ時... 044b90歳の郵便配達人...
一語履歴 vol.043
運命は性格の中にある... 043a人生を分ける2文字...プールに飛び込んだ...
一語履歴 vol.042
プロ宣言...上司から提案... 042a私より不幸な人...
一語履歴 vol.041
冒険とは...限界がない... 041a食の新しい流通...
もう駄目だ そこから本当の人生が始まる
         梶山祐司(元競輪選手)

二年前、私は通算三十四年に及ぶ
競輪選手生活にピリオドを打ちました。

もともと運動神経がよいほうではなく、
走るのも速くはなかった私にとり、
競輪人生は試練の連続でした。

努力が結果に結びつかない現実にも幾度となく直面しました。

しかし、日々の練習や勝負の中で、
私は人生の宝物ともいえる
掛け替えのない学びを得ることができたのです。

家が貧しかったため、兄は中学を出て
すぐ働きに出ていました。

私も将来を考える時期に差し掛かった頃、
たまたま兄に連れていかれた競輪場で、
人間が自らの力で生み出すスピードの凄さに
たちまち魅了されました。

こんな素晴らしい世界で日本一になってみたい――
強い思いに突き動かされ、
私は競輪選手を目指すことにしたのです。

プロになるためには、まず競輪学校へ
入学しなければなりませんが、
定員の十倍もの志望者が殺到します。

資質に劣る私は、とにかく人の何倍も練習しようと決意し、
多い日は夜中の一時半からその日の二十一時まで二十時間近く、
限界を超える鍛錬を積んで合格を果たし、
入学後も人一倍練習を重ねてプロになったのです。

当時、競輪選手は四千人以上いました。

レースは実力別に七つのクラスに分けて行われ、
これも当時の頂点であったA級一班の百二十人に
入ることを目指してしのぎを削るのです。

もちろん私の目標もA級一班でしたが、
とても口には出せませんでした。

周りはインターハイの優勝者など、
桁外れの脚力の持ち主ばかり。

一方私は、競輪学校のコンピュータによる体力分析で、
プロでは勝てないと指摘されていたのです。

しかし私の視野には、苦労して
プロの切符を手にした競輪の世界しかありませんでした。

三年やって駄目なら死ねばいい。
その代わり命懸けで三年やろうと決意しました。

早朝に静岡市内の自宅から御前崎まで往復八十キロ、
朝八時に再びサドルにまたがり河口湖まで往復二百キロ、
戻ってくると競輪場で十九時までスピード練習を行い、
さらに二十時から大井川方面まで走って二十二時に帰宅。

少ない日でも一日二百キロ、月六千キロ、年間七万二千キロ、
死にもの狂いでペダルを漕ぎ続けました。
私以上に練習した人はおそらくいなかったと思います。

最初はなかなか勝てませんでしたが、
三年経つ頃には努力が確実に成績に結びつくようになり、
八年で念願のA級一班入りを果たすことができたのです。

コンピュータで筋力は分析できても、
人間の気力までは分析できません。
気力さえあればデータなど吹き飛ばして
やり遂げることができるのです。

しかし、そこからの道のりも決して平坦ではありませんでした。
度重なる練習やレース中の事故で
延べ五十本にも及ぶ骨折に見舞われましたが、
そこから再起しました。

一番大きな怪我は頸椎の骨折でした。

「もう駄目だ」、何回も何回も思いました。
やめるべきか、再起すべきか。
もし再度落車すれば半身不随の可能性もある。
悩みに悩みましたが、再起の道を選びました。

心の支えになったのが須永博士さんの詩でした。

「“もうだめだ”  そこから人生が はじまるのです
 そこから 本当の自分を だしきって ゆくのです
 そこから  人間這いあがって  ゆくのです
 “もう駄目だ” そこからもっともっと
 すごい強い自分をつくって  ゆくのです」

苦しい時、本当の自分が姿を現します。
そこで駄目になるのも自分、
もっと凄い自分をつくっていくのも自分。
そこから本当の人生が始まるのです。
 
2013/07/17

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