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たのしみは 武田鏡村(作家) 「たのしみは 艸(くさ)のいほりの 筵(むしろ)敷き ひとりこころを 静めをるとき」 (私の楽しみは、世間の喧噪から離れ 粗末な草葺きの我が家に筵を敷き、 一人静かに自分を見つめる時である) この歌は、江戸末期の歌人・橘曙覧の短歌集 『独楽吟』の一首です。 『独楽吟』には五十二の歌が収められていますが、 いずれもこの歌同様に「たのしみは」で始まり、 日常の些細な出来事の中に見出した楽しみが 巧みに表現されています。 人はレジャーやショッピングなど、 外の世界に楽しみを求めますが、 そうした欲求はどこまでいっても満たされることはなく、 そのことによって逆に苦しみを得ます。 人生の楽と苦は一枚の葉っぱの表と裏のようであり、 むしろ苦しみのほうが多いことを 痛感する方も多いのではないでしょうか。 橘曙覧はこの真実の中で、 苦楽の波間に高ぶる心を、 自分で見つめて静めるところに本当の楽しみを求めました。 狭い家の中でも僅かなスペースを見出して、 そこに座って静かに自分を見つめる。 そのゆとりの中から誰にも邪魔されない 楽しみの空間が広がっていく。 字面こそ平易ですが、自分の心に感応させて読むと、 実に奥深いものがあります。 恥ずかしながら、私はこの秀逸な短歌集の存在を 二十年前まで認識しておらず、 アメリカ人を通じて初めて教えられたのでした。 平成六年、天皇皇后両陛下を国賓として迎えた クリントン大統領が、ホワイトハウスの歓迎式典のスピーチで 取り上げたのが『独楽吟』の一首だったのです。 「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」 (私の楽しみは、朝起きた時に昨日までは 見ることがなかった花が咲いているのを見る時である) クリントン大統領はこの歌を通して、 日本人の心の豊かさを賞賛しました。 恐らく専門家の意見をもとに盛り込んだのでしょうが、 その判断は見事なもので、 私たち日本人が自らの感性の素晴らしさを再認識し、 知る人ぞ知るこの名作が平成の世に 再びスポットライトを浴びる契機となったのです。 「たのしみは」で始まる『独楽吟』は、 日常のありふれた出来事を「楽しい」と受けとめること。 そうした感性を育むことで、日頃見失っている尊いものを 受けとめられることに気づかせてくれます。 どんな苦境にあっても、楽しみを求める感性があれば、 人生はまさに「楽しみ」に満ちていることを発見できるのです。 私も早速その作品に触れ、たちまち虜になったのでした。 |
2013.07.22 |
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