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名文を読ませる 明治大学教授の齋藤孝さんと、 音読などを取り入れた 陰山メソッドで知られる陰山英男さん。 (陰山) 現場の教師として いまの教育のあり方に疑問を持ち、 割に早い段階から小学校の授業で 音読などを取り入れてきました。 意外だったのは、 僕たちが高校で習った 一見難しいイメージの古典を 子供たちが自然に受け入れていったことですね。 私はこのことに気づいて以来、 音読を定式化し、 独自で活動するようになった現在も、 陰山メソッドを導入した全国の学校で 子供たちに短時間に集中して 名文を読ませているわけです。 教育に音読を取り入れた結果、 子供たちの学力が爆発的に伸びた。 このことははっきり言えると思います。 ところが、ある時、 陰山式を取り入れているある学校から 「成績が急降下した。陰山式を続けているんですけど、 どこが悪いのでしょうか」と相談を受けたんです。 実際に足を運んで教室に入った瞬間、 「もうこれは駄目だと」とすぐに分かりました。 なぜかというと、 古典などの名文を授業で使っていないんです。 分かりやすくて楽しい現代詩人の作品ばかりを 題材にしている。 それは悪いことではないのですが、 決して力になる文章ではないんですね。 (齋藤) おっしゃるように、 子供のうちから力のある文章を読ませる 基礎トレーニングはとても大事だと思います。 文章の力強さが学力や 逞しいメンタルを育てる上で 大きな働きをすることは間違いないでしょう。 (陰山) 学力を伸ばしている学校は、 小学1年生から『枕草子』などを 普通に読ませていますし、 『論語』の音読で成果を挙げている幼稚園もあります。 「子曰く……」という独特のリズムが 気に入るみたいで、 短期間で覚えてしまう子も多いですね。 そのように考えると、 「高校生が学ぶような難しい文章を、 なぜ小学1年生に与えるのか」 と否定的に発想するのではなく、 「こういう文章を与えたほうが 子供たちにとって力になり、馴染みやすい」 と考えたほうが、より実態に即していると思います。 (齋藤) 小学生には『論語』の 「己の欲せざる所、人に施す勿れ」 という章句が人気が高いと聞いたこともありますが、 古典はそれだけ心の琴線に触れる力があるからこそ、 今日まで残ってきたと思うんです。 学習には、そういう「文化遺産を継承する」 というような絶対的な意味合いが 必要なのではないでしょうか。 理科の教科書にニュートンの法則が出てきますが、 これは絶対的ですよね。 国語でいえば『万葉集』であり『百人一首』です。 こういう取り替え不能な題材で ラインナップを組むことが教科書の質であり核となります。 その意味では、 いまの国語の教科書の題材は 取り替えがきくものばかり、 という印象は拭えませんね。そ れを教える教師も文化遺産を継承する 使命感がないまま教壇に立つなど ありえないと私は思っています。 その文化遺産としての大切な日本語を受け継いで、 まずはそれを「読む」技を身につける。 「話す」「聞く」はその土台の上にあります。 「読む」ことを抜きにして 「話す」「聞く」に舵を切ってしまったら、 国語の教育は終わってしまうとすら危惧しますね。 (陰山) 「話す、聞くにシフトしたら国語の教育は滅ぶ」 という齋藤先生のいまの発言、 まさに名言だと思います。 教育現場の人の多くはいま、 その真逆を考えているんです。 そういう点で言うと、 皆が学力低下の方向に向かって 進んでいるのではないかと心配しています。 だからといって、 これを文科省の責任ばかりにはできない。 文科省はむしろ「基礎基本はきちんとやりましょう」 と言っているわけで、 現場のほうがどこか偏る傾向があるんです。 教師が教育の全体像を思い描くのではなく、 その時々の手法にばかり 走ってしまっている現実は否めません。 |
2021.11.25 |
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