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恰好(よしきた) 40年にわたり禅の道を歩んできた 臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺(よこた・なんれい)さんと、 天台宗圓融寺住職・阿純章(おか・じゅんしょう)さんのお話。 〈阿〉 きょうはせっかく横田老師にお目にかかったので、 私が一番好きな禅語についてもお話ししたいと思います。 それはたった2文字、「恰好」という言葉なんです。 横田老師もご存じのとおり『趙州録』に出てくる言葉で、 趙州老師が弟子から「大困難が訪れた時に老師はどうなさいますか?」 と問われた時、「恰好!」(よしきた!)と答えたそうですね。 どんなことが起きても 「よしきた! 自分にピッタリの困難がやってきたぞ」と受け止めて生きる。 この言葉を私は大切にしています。 〈横田〉 恰好、よしきたと。まさに人生の極意ですね。 〈阿〉 その言葉から思い出すのは、 はじめ塾という私塾を創始された和田重正さんの本に出てくる鳶職の方のお話です。 鳶職でも間違って木から落ちてしまうことがたまにあるそうなんですが、 そんな時は自分から降りてしまうんだと。 怖いと思って目を背けると怪我をするけれども、 自分から降りて地面から目を離さないでいると、 怪我が少なくてすむというんです。 それはまさに「よしきた!」という気持ちにも通じるお話ではないかと思うんです。 ですから私も、何か大変なことが起きたら、 たとえ不安でいっぱいでも、 「よしきた!」という気持ちで向かっていこうと思っているんです。 〈横田〉 見事な覚悟です。人間の花というのは、 そういうところに咲いていくんですよ。 〈阿〉 花を見ると、花びらしか花ではないと思ってしまいがちです。 しかし本当は、茎があって、葉っぱがあって、地面、 太陽があって初めて花があるわけで、 すべての条件が揃っていなければ花は咲きません。 花びらだけでなく、宇宙のあらゆるものに同じ価値があって、 その中の一つとして花びらもあると思うんです。 人間も同じで、人生の局面の一つひとつも 何かの手段だと思うと取るに足らないものに見えてしまいますけど、 それも美しい人間の花の大切な一つだと思って、 いま自分が歩いているこの一歩一歩を慈しみながら生きていくことが大切だと思います。 〈横田〉 それが自分という人間を深めていく歩みにもなりますからね。 |
2021.07.03 |
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