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分を守るのと失うのと 『二宮先生語録』 分を守るのと失うのと 人のからだは、ふとりすぎず、やせすぎず、 その中を得るのを分とする。 分を過ぎれば不健康だ。 家計もそのとおりで、 天分の中を得てこれを守れば、 日々に豊かに、そして安楽になる。 そうなれば、子孫のために木を植えて育てることも、 楽しみにするに足りる。 反対に、もし天分を失ったならば、 祖先が植え残した大木をきって売り食いをしても、 日々に貧窮し、困難する。 そうなれば、子孫を恵むどころの話ではない。 分を守ることと失うこととの相違はこのとおりだ。 慎まずにおられようか。 自力で成るものなし 百花・紅葉も、百穀・野菜果実も、 みな草木自身の力でできるのではない。 ことごとく造物者のしわざなのだ。 けれども、それは見聞の及ぶところでない。 それゆえ人々は草木自身の力と思っている。 つりがねも同じことだ。 人の手と撞木の力を借りなければ 鳴ることができない。 人間もまた同様で、身を修め、行いを慎み、 知識才芸によって栄達の幸福を得るとしても、 みな祖先の陰徳、代々の蓄善、 および神霊の加護の力によるもので、 一つも自力でなしうるところではないのである。 それを見聞が及ばないばかりに 自力によると思いこんでいる。 |
2021.06.18 |
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