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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.108

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昨日、甲子園決勝戦で三重高校を4対3で下し、
3917校の頂点に立った大阪桐蔭高校。

春夏を連覇した2012年以来、
2年ぶり4度目の優勝を果たしました。

1998年から16年にわたり、
チームを率いるのは西谷浩一監督、44歳。

高校野球の監督としては
これで歴代3位の優勝回数となりました。

  「“伸びる人の条件”と“指導者の資格”」

   西谷浩一(大阪桐蔭高校硬式野球部監督)
        
※お相手は、千葉県の習志野高校、流通経済大柏付属高校の両校を
 4回もの全国制覇へと導いたサッカー界の名将・本田裕一郎監督です。

西谷 私がここ最近変わったなと思うのは、
   メンバーから外れた子たちが
   非常によくやってくれるチームになった、ということですね。

10年ほど前までは夏のメンバー発表が終われば、
そこから外れた子は寮を出るのが決まりだったんです。

メンバーから外れて気持ちも少し切れているだろうから
彼らは家から通わせるようにしようと。

ところが、私が監督になって3年目の時、
皆が寝静まってからキャプテンが相談に来たんです。

「メンバー発表が終わっても、
 3年生全員を寮に残してほしい」と。

私は内心凄く嬉しかったんですが、
理由を尋ねると、

「監督はいつも、一つのボールに皆が同じ思いになれ。
 “一球同心”と言われているのに、
 メンバー外の3年生が寮を出たらお互いに溝ができてしまう。
 一球同心が本物にならないと思います」

と言ってくれたんですね。

本田 選手のほうからそう言ってこられたのですね。

西谷 夏のメンバー発表をする時には、
   背番号をつけてやれなかった子たちが
   ベンチ裏でワンワン泣いているんです。

でも次の日には彼らのほうから、

「チームのために何かやらせてほしい」

と自ら言ってきてくれるようになった。

そして打撃投手をしてくれたりするんですが、
私が一番してもらいたいのが相手チームの偵察なんですね。

1、2年生より3年生のほうが野球をよく知っているから、
絶対にいい分析ができる。

ただメンバーから外れた3年生に
それを頼むのは非常に酷なことなんです。

本田 よく分かります。

西谷 その彼らが「偵察にも行きます」と
   自分から言ってくれるようになり、
   そこから何かが変わってきた。

三年生の外れた仲間たちが撮りに行ったとなると、
メンバーもいい加減には見られなくなる。

そうしたことで合宿所自体の雰囲気が変わってきました。

だから試合に出ていない子の力がいかに大切か、
その子たちの力が関わってきた時に、
チームは本当の力を発揮するんだなと改めて感じましたね。

本田 指導者というのは皆、
   非常に負けず嫌いですよね。

でも負けず嫌いの人は、
往々にして諦めやすいという面がある。

だけど本当の指導者は、
その負けず嫌いが継続するんです。

諦めなければ必ずチャンスが
巡ってくると思っています。

選手だって負けず嫌いな子のほうが成長しやすい。
だけどもそういう子のほうがかえって諦めてしまいやすいんです。

西谷 同感です。

そういう子が変化した時に、
凄いものになっていく、本物になっていくんですがね。

また、本当に伸びる子は概して素直で、
なおかつ頑固さも備えていますね。

人の話をちゃんと聞く耳を持っているが、
自分というものもしっかり持っているというか。

本田 素直さという点では共通していますが、
   私自身は反骨精神のある奴が大好きなんですよ。

よく、不貞腐れる子っていますよね。
そういう子と話をして突っ込んでいくと、
時には飛び掛かってくることもありますが、
そういう部分を崩してやった時には、
これが本番で大活躍するんですよ。

暴れ馬を調教した時には名馬になる(笑)。

西谷 ここ一番ではそういう子がやってくれますね。

本田 真面目な子は土壇場で萎縮したりするんです。

いずれにせよ、ねじれた子も3年間でそのねじれを取ってやらないと、
社会では通用しませんからね。

一方で、真面目な子にも真面目なだけじゃダメだよと教えてあげる。
このへんが非常に難しいところです。

西谷 そうですね。

それと、これは先生も同じでしょうが、
我われはやはり日本一になることを目標にしているので
「これで日本一になれるのか」という言葉を
意図的に毎日毎日伝えていきました。

ただ日本一は本気で狙いに行っても簡単には取れません。

でも本気の本気で狙いに行ってこそ初めて
チャンスが出てくると思っています。

だから常にそれを意識してやりたいと思っています。
たまたまで日本一になるなんてことはあり得ませんから。

だからそこに近づくために
自分がいま何をしないといけないかということですよね。

本田 えぇ。だからとにかく鍛える、日本一に向かって鍛えていく。

私自身は厳しさと優しさというものは
同一線上にあるものだと思うんです。

どちらが先行するものでもなく
厳しさの中に本当の優しさが、優しさの中に本当の厳しさがある。

叱るのと褒めるのも、
苦しさと楽しさも一緒じゃないかと。

選手にも3年間、いろんなドラマがあるじゃないですか。

でも卒業する時に、
彼らは苦しかった時のことを笑いながら喋るんです。

つまり苦しいことの中にこそ、
楽しさがあるんじゃないかと。

そうした点で、指導者に求められるものの第一には、やはり情熱ですね。
次に負けず嫌いであること。そして最後は行動力です。

年を取ってくると、だんだん面倒臭さが先に立っちゃいますから、
そういうことがないようにと心掛けています。

この世界、人間が相手ですからそう簡単には極められないですよね。
ここからもっともっと深い境地があると思うし、
西谷先生にも負けないよう、若さをもらわないと(笑)。

西谷 私はまだまだ未熟な指導者なので、
   子供たちの中にバッと入ってしまい、
   見えなくなることがよくあるんです。

最初のうち勝てなかった理由を自分なりに考えると、
たぶん子供たちと一緒になって戦っていたから
見えなかったんだといまになって思うんです。

これまでは子供たちと一緒に突っ走ってやってきましたが、
最近は指導者として一つの岐路に来ているように感じています。

単に野球だけを教えるのではなく、
子供たちにその先の生き方を教えるため、
本田先生のようにいろいろな引き出しを持っている必要がある。

子供たちを引っ張っていく立場であれば、
もっともっと自分が勉強しなくてはいけないし、
そういう根っこの部分をどれだけつくってやれるかが、
将に求められる資格ではないかと思います。
 
2014/08/26

  「選手が自立しなければ頂点には立てない」

  小川良樹(下北沢成徳高校バレーボール部監督)  

井上 小川先生にとっての転機は、
   33歳の時にスパルタから指導法を変えられたことだと思うんです。

そこからどのようにチームが変わっていったか、
お話しいただけますか。

小川 実はうちも練習に制約がありましてね。

成徳の体育館は狭い上に一面しかなく、
バレー部が使えるのは火木土の週3日だけなんです。

加えて、東京には八王子実践高校や中村高校といった
強豪が揃っていましたので、
優秀な選手はそういう上位チームに集まっていました。

そういう状況の中で、
日本一になるためにはどうしたらいいか、
そのことだけを四六時中考えていました。

当時はどこの学校のバレー部も
厳しい練習が徹底されていたんですけど、
強豪と同じ練習を追求しても、
選手の能力に差がある以上、敵わないだろうと。

それにやっぱりしごきの形だと
放課後練習に行くのが嫌になるんですね。

そこでまず、選手たちが嬉々として
練習できる環境をつくろうと。

要はどうやってバレーを好きにさせるか、
バレーの練習を自分から積極的にやるようにするか。

やらされている意識ではなく、
早くバレーの練習がしたいと思ってくれたら、
もしかすると強豪を逆転できるんじゃないかと考えました。

井上 選手たちの自主性を育むことに着眼された。

小川 それで、井上先生と同じように
   部員の上下関係をなくしましたし、練習方法も変えました。

バレーボールは「できるまで」っていう練習が
すごく多かったんですね。

例えば、10本レシーブが上がるまでとか、
アタックが10本決まるまでとか。

ところが、バスケットやラグビーなど、
他のスポーツの練習を見に行くと、
そういう形じゃなくて時間制にしていると。
この発想が私にはなかった。

練習を時間で区切る。
あるいは、数字をしっかり記録して、
昨日よりきょうのパーセンテージが上がるようにする。

そうやって成果を目に見えるようにすることで、
選手たちのモチベーションを高めていったんです。

周りの監督からは、

「そんな甘い練習はダメだ」
「何でできるまでやらせないんだ」

って随分言われましたけど、
それを繰り返しやって精度を高めていくことで、
少しずつ勝てるようになりました。

井上 実際にチームが変わっていかれたわけですね。

小川 インターハイ準優勝や春高バレー3位など、
   日本一を狙える位置につくようになりました。

そんな中、2000年4月に大山加奈や荒木絵里香といった
優秀な選手たちがゴソっと入部してきたんです。

大山は身長187センチ、成徳の付属中学で
全国優勝したエースでしたし、
荒木もバレーの経験は少なかったものの、
186センチと高い身体能力を持っていました。

これほどの選手は当時日本中を見回してもいませんでしたし、
日本のバレー界にとって大きな宝でしたので、
この子たちを潰してはいけないと。
指導者としての責任をものすごく感じました。

それまでは「俺が、俺が」っていう気持ちがすごく強くて、
自分が上から選手を引っ張るんだと思っていたんですけど、
彼女たちが入ってきた頃から、
逆に自分は下から選手を支えようという考え方に変わりました。

そして2002年、大山と荒木が3年生の時に
春高、インターハイ、国体で優勝し、
三冠を達成することができたんです。

この時、私は多くのことを選手から教わりました。

選手が主体的に取り組んでいたり、
選手たちだけで上手くチームが回っている時には、
監督は口を出すべきではないと。

井上 ああ、選手の邪魔をしない。

小川 もちろんすべて選手たちだけではできないので、
   私は常にコートに立って選手を観察します。

ただ、教え過ぎない、押しつけないということをしながら、
選手たちが自分で工夫する環境をつくっていくようにしているんです。

やっぱりコートで戦う選手自身が
自立しないと頂点には立てない。

自分で自分のスイッチを入れられない、
常に監督からスイッチを入れられて頑張るという状態では、
本当の意味で強くならないのだと思います。
 
2014/08/25

2000年以降のメジャー最高選手に
選出されたイチローの原点はどこにあるのか。

    「夢を実現するための3つの条件」

    イチロー(ニューヨークヤンキース)  

ある小学6年生の作文がある。

「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 
 そのためには中学、高校と全国大会に出て
 活躍しなければなりません。
 
 活躍できるようになるためには練習が必要です。

 僕は3歳の時から練習を始めています。 
 
 3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが、
 3年生の時から今までは365日中360日は
 激しい練習をやっています。
 
 だから、1週間中で友達と遊べる時間は5、6時間です。

 そんなに練習をやっているのだから、
 必ずプロ野球の選手になれると思います。

 そして、その球団は中日ドラゴンズか、
 西武ライオンズです。

 ドラフト入団で契約金は
 1億円以上が目標です。
 僕が自信のあるのは投手か打撃です。
 
 去年の夏、
 僕たちは全国大会に行きました。

 そして、ほとんどの投手を見てきましたが
 自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、
 打撃では県大会4試合のうち
 ホームラン3本を打ちました。

 そして、全体を通した打率は
 5割8分3厘でした。

 このように自分でも納得のいく成績でした。

 そして、僕たちは1年間負け知らずで
 野球ができました。

 だから、この調子でこれからもがんばります。
 
 そして、僕が一流の選手になって
 試合に出られるようになったら、
 お世話になった人に招待券を配って
 応援してもらうのも夢の1つです。

 とにかく一番大きな夢は
 野球選手になることです」

作者は愛知県西春日井郡
小学校6年2組鈴木一朗。
 
賢明な読者にはすでにおわかりだろう。 

いまをときめく大リーガー、
イチローの子ども時代の作文である。
 
イチローの資質は特別、いわば天才という。
その通りだろう。

しかし、この作文が夢を実現する上で大事なものは何かを
語っていることも事実である。

まず、第一に自分の夢に対していささかも迷いがない。

夢を素直に信じている。
つまり夢に対して本気、本腰である。

次に、自らの夢に対して
代償を進んで支払おうとする気持ちが強い。

365日中360日激しい練習。
友達と遊ぶのは1週間で5、6時間という。

そういい切る言葉に少しの悔いも未練もない。

「夢をみることは重荷を背負うことだ」

と松下幸之助氏はいったそうだが、
そのことをすでに体得している感がある。

そして最後に、お世話になった人に対して報いるという
報恩の心を持っている。

夢を持ち、その夢を実現すべく燃えることができるのは、
全生物のなかでも人間だけである。

天から授かったこの能力を
フルに発揮する人生を送りたいものである。 
 
2014/08/23

2020年は東京で2度目となる
オリンピック・パラリンピックが開催されます。

では、前回行われたのはいつでしょうか。

それは1964年、
いまから50年前のことです。

この年は、東海道新幹線が
開通した年でもあります。

戦争で全国各地が焦土と化し、
働きの担い手である多くの若い男性が命を落とし、
さらにはエネルギー資源のない日本が、
戦後たったの19年で新幹線を走らせ、
オリンピックを開催するまでに復興した。

   「奇跡の復興を可能にしたもの」
         

万事入精は古より日本人のDNAとして
連綿と受け継がれてきた資質のように思われる。

あらゆる事物に精緻を極めようとする
日本文化のありようは、その発露ともいえよう。

もう随分前のことになるが、
ヤナセの創業者・梁瀬次郎さんから聞いた話がある。

梁瀬さんは戦後の復興を担って
総理大臣を務めた吉田茂氏と親しかった。

ある時、吉田氏が言ったという。

「日本は戦争で全土が焦土と化した。
 その日本が僅かな期間で目覚ましい復興を遂げた。
 なぜだと思うか。

 資源など全くない日本が
 なぜこんなにも早く復興できたのか。
 日本には一つだけだが、
 貴重な資源があったからだ。

 それは日本人の勤勉性という資源だ」

梁瀬さんは膝を打って共感した。

勤勉性は万事入精と同義である。
何事も疎かにせず、懸命に取り組む。

一億国民の勤勉性、即ち万事入精の精神が
日本の驚異的な復興の基であったことを
私たちは肝に銘じたい。

『安岡正篤一日一言』に
「傳家寶(でんかほう)」と題する一文がある。
その一節。

 事の前に在りては怠惰(たいだ)
 事に当っては疎忽(そこつ)
 事の後に於ては安逸(あんいつ)
 是れ百事成らざる所以なり

大事なことがあるのに
準備もしないで怠けている。

実行の場面ではいい加減で軽率。

終わったら何の反省もせず、
ああやれやれと気を緩めてしまう。

こんなことを繰り返していては何事も成功しない、
という戒めである。

この教えを噛みしめたい。

事の前にあっては準備万端、
事に当たっては全心全力、
事の後は必ず反省・検証する。

私たちはこの姿勢を忘れてはなるまい。
 
2014/08/21

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