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      次代に輝く住まいを創る

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〒971-8134 福島県いわき市鹿島町飯田字八合22

一語履歴WORD vol.101

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一語履歴 vol.101
勝利にひそむ運...

高校女子バスケットボール界に
前人未到の記録を持つ伝説の名将がいます。

愛知県・桜花学園高等学校の
井上眞一監督、67歳です。

守山中学校バスケ部を6連覇に導いた後、
1986年に桜花学園バスケ部監督に就任。

そこから積み上げてきた全国優勝記録は
27年間でなんと54回。

    「勝利にひそむ運を引き寄せるには」

  井上眞一(桜花学園高等学校バスケットボール部監督)

指導のスタイルについてはすごく葛藤がありました。

私はプレーヤー時代、大学のバスケット部の
しごきに耐えかねて挫折しているんですね。
で、途中でやめて同好会をつくったんですよ。

そんなことで卒論も、

「勝ち負けじゃなくて楽しんでやるのが
 真のスポーツだ」

みたいなことを書きました。

ところが、指導者になったら
やっぱり勝ちたくなるものだから、
選手に厳しく当たることもあったんですね。

一方では同好会時代の楽しんでやるというのも残っていると。
だから、そこはすごく矛盾をしていて……。

で、桜花の監督になった時に、

「中学で勝ったからって高校で簡単に勝てるわけないよ」

って他校の監督から言われていたので、
どういうチームが理想なんだろうと考えたんです。

その時思ったのは、中学生たちが憧れるような
明るい雰囲気のチームにしたいと。

そのためにまず上下関係は取っ払うべきだということで、
これを撤廃しました。

小川 ああ、選手間の上下関係をなくされた。

当時そういう方針でやっているところは
他になかったんじゃないですか。

井上 かもしれませんね。
   厳しいところが多かったですから。

うちは全寮制なんですが、門限22時以外は
ルールをすべてなくしました。

敬語もなければ、食堂の座席も決まっていない。
来た人から好きな席に座って食べる。
だから、1年生が先にバクバク食べている
ってことが普通なんです。

体育会系によくありがちな上級生が先に食べて、
その後で下級生というのがないので、
よそから見るとなかなか不思議なチームかもしれません。

そうやって、

“コートの中ではよきライバル、
 寮に帰れば家族のように仲良く過ごす”

というチームづくりを徹底していきました。

すると、その年の夏のインターハイで
運よく優勝してしまったんです。

小川 初年度でいきなり!?

井上 その3年前から守山中の教え子たちを
   毎年送っていたこともありますけど、
   その時は本当に運がよかったんですよ。

というのも、春の選抜(1988年より冬開催)で優勝した
千葉の昭和学院高校といきなり初戦で当たってしまった。

で、やっぱり20点近く差をつけられて負けていたんです。
観客もこの試合はもう勝負がついたからって
帰り出していました。

すると、相手が主力を温存させて
メンバーを交代したんですね。

ここからうちの新1年生たちが当たりに当たって、
スーッと追いついた。

で、慌てて向こうも主力を戻したんですけど、
うちの勢いが止まらずにそのまま逃げ切ったんです。

小川 第1シード相手に大金星をあげられた勢いで、
   そのまま優勝を手にされたと。

井上 だから何と言うか、私は力だけでは勝負に勝てない。
   やっぱり運がないとダメだと思うんです。

小川 先生はどうやったら試合の中で
   運を引き寄せられると感じていますか。

井上 難しいですね。

ただ一つ言えることは、
練習でいかに完璧な準備ができるか、だと思います。

練習は試合のための準備ですから、
それがうまくできれば頂点に立てるんでしょうね。

小川 どんな練習をされているのか、ぜひ教えてください。

井上 うちは体育館が住宅街の中にポツンとあるので、
   朝練習ができないんです。夜の練習も19時半まで。

それ以上やると、近所から「ボールの音がうるさい」って
クレームが出てしまう。
だから、練習時間は3時間半しかないわけですね。

その限られた時間の中で勝てるチームにするためには、
頭と体が両方動かないといけない。

バスケットはアメリカ発祥のスポーツなので、
どうしても専門用語は英語になってきます。

だから、1年生は上級生に聞きながら、
とにかく頭を使って理論を覚えて、効率よく練習をする。

逆に言うと、私が大学時代にしごかれたような
無駄な練習は一切しない。

極端な話、1日2点取る練習を
300日やれば600点取れますよね。

だから、前の日と同じ練習は絶対しないように、
毎日変えるというのが私のやり方です。
 
2014/07/15
東京都や埼玉県を中心に
1都5県で100か所以上展開している
学習塾「花まる学習会」。

他の学習塾とは一線を画す独自の教育法が
いま全国から熱い視線を送られています。

立ち上げから21年目を迎え、
4歳から15歳の全生徒数は約1万7千人。

     「人間関係の力を伸ばす秘訣」

      高濱正伸(花まる学習会代表)

――高濱代表が目指す教育とはどこにあるのでしょうか。

僕が育てたいのは、どんな時代でも
飯を食っていける大人なんです。

そしてそのためには
10歳までが勝負だと考えています。

――10歳までで決まると。

お母さん方から中学や高校の受験枠も
つくってほしいという要望があって
そういったクラスもつくりましたが、
一番力を入れているのは人間の土台づくりですね。

もちろん、10歳を超えたらダメだというわけではないのですが、
いろいろな年代の子供たちを教えてきた経験上、
空間認識力とかイメージ力などがダイナミックに伸びるのは
小学校3年生くらいまでかなというのが分かるんですよ。

ですからうちでは知識偏重ではなくて、
子供たちが主体的に考える力を伸ばす教育に
力を入れているんです。

例えば、僕が考案したゲームやクイズなどを
算数の指導に取り入れているのですが、
子供たちに求めるのは、本当に納得いくまで食い下がり、
自分で解くことにこだわる「しつこさ」ですね。

計算問題を速く正確にこなす訓練をするよりも
よっぽど「学力」が身につきますよ。

―― 一般の塾とは一線を画しているわけですね。

もう一つは人間関係の力を育てることです。
ベースにあるのはお母さんの愛情ですが、
それだけでは足りません。

ところがいまの学校は子供たちの間に
トラブルが起きないようにという事なかれ主義で動いているでしょう。

成功体験はもちろん大事ですけど、
苦い体験も子供が自立する上では
ものすごく大切になってくるんですよ。

これはバランスの問題ですね。

そういうものを乗り越えて、みんなといると楽しい、
友達と喧嘩しても大丈夫というように
社会に対する自信、自分自身に対する自信を持たせてあげる、
つまり人間の芯をつくってあげることが大事なんです。

そしてその実践の場が野外体験です。

――具体的にどのようなことをしているのですか。

例えばサマースクールでは川遊びや魚つかみ、
虫獲り、夜の探検、そして滝壺への飛び込みなど、
とにかく思いきり遊ばせます。

親元を離れて、大自然の中で過ごさせることの意義は
語り尽くせませんね。

いろんなことを工夫するようになるので知力が伸びると同時に、
危険を感知する力も磨かれますが、
やはり一番伸びるのは人間関係の力ですね。

野外体験を受け付ける際には
グループでの申し込みはできないようにしているため、
メンバーは全員初対面で学年もバラバラです。

それからお母さんたちには、
予めトラブルが起こることを前提で
子供を参加させてくださいと必ず伝えています。

――親御さんに予め了解をとっておく。

僕は子供たちを逞しく育てたいと思っているんです。

だからトラブルがあって当然で、
子供が泣いて帰ってくることだってある。

時には怪我をすることもありますが、
そういった体験はすべて子供たちにとって貴重な財産になるんですよ。

親もこちらが真剣であれば、
絶対に分かってくれます。

実際、これまでいろいろなトラブルが
ありましたけどクレームはゼロ。

何かあればもちろんご家庭に謝りに行くのですが、

「いいんですよ。
 うちの子にはそういう体験も必要なんですよ」

というように、逆にお母さんに感謝されるんです(笑)。

――親御さんとの間にしっかりとした信頼関係ができていると。

昔の学校はそれが普通だったと思うのですが、
いまは子供に何かあれば親がすぐに怒鳴り込んでくるようになったから、
学校は敢えてリスクを冒すようなことはしません。

しかし、これは絶対に変えていかなければ
という思いが僕にはずっとあるんです。
 
2014/07/09

昨年、NHKの人気朝ドラ『あまちゃん』でも脚光を浴びた
岩手県の三陸海岸沿いを走る三陸鉄道。

東日本大震災で甚大な津波被害を受けたものの、
今春、107キロの全線開通を成し遂げました。

僅か3年という短期間での全線開通は
“奇跡の復活”と称され、
東北の方々をはじめ日本全国に勇気と希望を与えています。

 「ギリギリまで追い込まれるとアイデアは湧いてくる」

      望月正彦(三陸鉄道社長)

――危機的状況の中、社員さんの心を一つにまとめ、
  復旧に当たるのも大変ではありませんでしたか。

当社は臨時職員、パートを含めて80名の従業員がいますが、
家を流されたり、家族を失った者も多くいます。

被害が甚大だったこともあって最初はパニック状態というのか、
多くの従業員が列車を動かそうという気力すらなかった
というのが正直なところです。

震災の2日後、部分運行再開でいくぞ、と
私が檄を飛ばした時も反対する幹部がいました。

「余震が続いています。
 身内も亡くなり気持ちが動揺して
 それどころではありません」と。

そういう彼らに私は

「列車を動かすことで助かる人がいる。
 いまこそ三鉄が頑張らなくてどうするんだ」

と懸命に思いを伝えていったんです。

でも、一番の力はやはりお客様ですよ。

お客様の「ありがとう」という言葉ほど
力強い励ましはありませんでした。

数多くのありがとうが従業員の心を掴んで、
一つにしたといってよいと思います。

――列車が動いたことへの感謝の思いが溢れていた、と。

私は開通前の試運転のたびに、
一つだけ指示を出したんです。

それは警笛を鳴らしっ放しで走れ、
ということでした。

これは誰かが線路を歩いている可能性があるためでもあるのですが、
もう一つは三鉄が動き出したことを
住民の皆さんにお知らせするためです。

田老駅の周りで瓦礫の片付けをしていた人たちが
警笛の音に思わず立ち止まって、満面の笑顔で手を振ってくれた。

そういう光景は生涯忘れられませんね。

鉄道が動き出すというのは
日常が戻るということなんですね。

警笛はまさに希望の音色だったわけです。

再開の区間を延ばしていくほど、
皆さんの感動は一層大きくなりました。

それは全線再開に懸ける我われにとって
何よりの励ましであり、喜びでもありました。

――業績のほうは回復しましたか。

3分の1の距離しか運行できなかった頃は
さすがに厳しかったですね。

実際の輸送量は10分の1にまで減り、
運賃収入も大きく落ち込みました。

だけど、窮すれば通ずといいますが、
ギリギリにまで追い込まれるといろいろなアイデアが出るものです。

――アイデアが。

例えば、私どもは旅行業の資格を持っていますから、
三鉄で津波被害現場を視察する被災地フロントライン研修というツアーを企画しました。

1泊2日の基本料金が2万8千円でしたが、
23年度は3千名以上の方に参加いただいて、
これが結構な収入になりました。

それから一番よかったのは「運行再開祈念レール」という、
流失した線路の切り売りです。

レールを10センチと5センチの幅で切って木の台座に乗せ、
シリアルナンバーを打った真鍮のプレートを付けて
5万円と3万円で売り出したのですが、
準備した200個が1日で完売しました。

要望に応じて400個を追加で作ったら、
これも即座に売れ、運賃以上の収入が得られたんです。

――鉄道ファンの方が買われたのですか。

私もそう思っていたのですが、
実は年配の方が多かったんです。

かつて三陸を旅されたことのある方々が
義援金のつもりで買い求められたようですね。

この他にも、クウェート国からの支援の一部をいただいて8台の車両が購入できたり、
大手カード会社さんが私どものグッズを販売してくださったりと、
到底伝えきれないくらい多くのご支援をいただきました。

私どもが今日あるのは、そういう皆様の善意のおかげなんです。
 
2014/07/08

建設用クレーンや高所作業車などの製造販売を行う
株式会社タダノ。

戦後の焼け跡から家族と共に会社を立ち上げ、
現在、従業員数3000人以上、
売上高1800億円を超える大企業へと発展させたのが
名誉顧問の多田野弘さん、94歳です。

        「苦難こそ成長の糧」

     多田野弘(株式会社タダノ名誉顧問)

94歳の私の朝は4時半に始まります。

2キロ半のウオーキングでひと汗かくと、
プールで24メートル泳いで会社に出ます。

プールの水は、冬になると肌を刺すように冷たくなり、
雪が降るのを眺めながら泳ぐ日もあります。

正月には海で泳ぐのが恒例ですが、
風邪をひいたことは一度もありません。

泳ぎ終えた後の爽快感はこの上もなく、
また冷たさに克つことで大きな自信と喜びを得られるため、
この40年1日も欠かさず続けてまいりました。

私は戦後の焼け跡から父と弟と3人で
多田野鉄工所(現・タダノ)を立ち上げました。

40歳の時、会社が大証二部上場を果たしたのを機に
父から経営を託されましたが、
自分には特に秀でた能力もありません。

何とか社長に相応しい人間に
自分を仕立てなければと試行錯誤を重ねていた折、
冷水の効用を教えてくださったのが、
地元香川の金子正則県知事でした。

当時、私は東京で仕事があると、
夜行で上京して廉価な県の施設に宿泊し、
早朝の入浴で気持ちを切り替えてから出かけていました。

金子知事とは浴場でしばしば一緒になり、
冷たい水を張った一人用の浴槽に浸かっておられる姿を
よく見かけていました。

不思議に思い、
ある時理由を尋ねてみると、

「多田野君、知事というのは
 仕事の9割は嫌な話を聞くことなんだよ。
 冷たい水も苦にせず入れる自分になれば、
 嫌な話もニコニコと快く聞いてあげられるようになるのだ」

とおっしゃったのです。

その話に一念発起したのが、
冷水で泳ぐようになったきっかけでした。

こうしたささやかな心掛けも含め、
社長に相応しい自分をつくるべく
懸命に努力を重ねてきた体験から、
苦難こそは成長の糧という思いを強くしています。

社長時代の苦難といえば、
いくら人や設備を増やしても思うように増産を果たせず、
お客様からのご注文に十分対応しきれない時期がありました。

打開策を模索する中、たまたま書店で手に取った
ドラッカーの『現代の経営』に、
利益は社会に対する貢献度に応じて与えられるものであるとあり、
目から鱗が落ちる思いがしました。

利益を目的に経営すれば、
会社に関わる従業員も顧客もそのための手段となりますが、
そんな企業が繁栄するわけがありません。

しかし企業経営の目的を社会貢献とすれば、
これは人として目指すべき生き方にも通じてくる――。

これでいこう、これで経営に失敗しても悔いはない。

ドラッカーの経営哲学に惚れ込んだ私は、
「創造・奉仕・協力」を社是に掲げて
会社の意識改革に取り組みました。

これが会社の風土として
浸透してきたことを実感できたのは、
献血を通じてでした。

献血というのは心身ともに健全で、
奉仕の精神に富んでいなければ実践できません。

会社で呼び掛けてみたところ、
最初から2割もの社員が参加してくれました。

その数は年々増えて4割にも達し、
総理大臣賞を受賞するまでに至りました。

経営の問題に直面したおかげでドラッカーの哲学と出合い、
そしてよい社風を築き上げることができました。

貴重な体験を通じて、私は苦難こそは成長の糧である
と確信を深めたのでした。
 
2014/07/07

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