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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.102

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一語履歴 vol.110
なぜ... 110a一輪の椿... 110b成功の反対... 110cその姿は...
一語履歴 vol.109
強味... 109a心の反映... 109b本物の食... 109c史上初5連覇...
一語履歴 vol.108
奇跡の復興... 108a夢を実現... 108b伸びる人の条件...
一語履歴 vol.107
芸道一筋... 107a他人を... 107b腰骨を... 107c先繰り機転...
一語履歴 vol.106
求める心が... 106a感動分岐点... 106b若者よ...
一語履歴 vol.105
明日また... 105aひとりの少女... 105b伸びる人間... 105c一所に懸命...
一語履歴 vol.104
人間力を... 104a中川一政 104b桜となれ... 104c徳を以て...
一語履歴 vol.103
海上自衛隊... 103aこの瞬間... 103b食べたいもの... 103c解釈を変える
一語履歴 vol.102
選手が自立... 102a一燈園 102bヒットアイデア 102c涙の種はいつか...
一語履歴 vol.101
成長の糧... 101aギリギリまで... 101b人間関係の力... 101c運を...
選手が自立しなければ頂点には立てない
           小川良樹(下北沢成徳高等学校バレーボール部監督)
   
2012年のロンドンオリンピックで 実に28年ぶりとなるメダル獲得をもたらした
「火の鳥NIPPON」こと、全日本女子バレーボールチーム。
現在、全日本チームの主将を務める木村沙織選手をはじめ、
荒木絵里香選手、大山加奈選手など、数々の日本代表選手を輩出してきた名将がいます。
高校女子バレー界の名門・下北沢成徳高校で 30年以上にわたりチームを率いている
小川良樹監督、58歳。

井上 小川先生にとっての転機は、
   33歳の時にスパルタから指導法を変えられたことだと思うんです。

そこからどのようにチームが変わっていったか、
お話しいただけますか。

小川 実はうちも練習に制約がありましてね。

成徳の体育館は狭い上に一面しかなく、
バレー部が使えるのは火木土の週3日だけなんです。

加えて、東京には八王子実践高校や中村高校といった
強豪が揃っていましたので、
優秀な選手はそういう上位チームに集まっていました。

そういう状況の中で、
日本一になるためにはどうしたらいいか、
そのことだけを四六時中考えていました。

当時はどこの学校のバレー部も
厳しい練習が徹底されていたんですけど、
強豪と同じ練習を追求しても、
選手の能力に差がある以上、敵わないだろうと。

それにやっぱりしごきの形だと
放課後練習に行くのが嫌になるんですね。

そこでまず、選手たちが嬉々として
練習できる環境をつくろうと。

要はどうやってバレーを好きにさせるか、
バレーの練習を自分から積極的にやるようにするか。

やらされている意識ではなく、
早くバレーの練習がしたいと思ってくれたら、
もしかすると強豪を逆転できるんじゃないかと考えました。

井上 選手たちの自主性を育むことに着眼された。

小川 それで、井上先生と同じように
   部員の上下関係をなくしましたし、練習方法も変えました。

バレーボールは「できるまで」っていう練習が
すごく多かったんですね。

例えば、10本レシーブが上がるまでとか、
アタックが10本決まるまでとか。

ところが、バスケットやラグビーなど、
他のスポーツの練習を見に行くと、
そういう形じゃなくて時間制にしていると。
この発想が私にはなかった。

練習を時間で区切る。
あるいは、数字をしっかり記録して、
昨日よりきょうのパーセンテージが上がるようにする。

そうやって成果を目に見えるようにすることで、
選手たちのモチベーションを高めていったんです。

周りの監督からは、

「そんな甘い練習はダメだ」
「何でできるまでやらせないんだ」

って随分言われましたけど、
それを繰り返しやって精度を高めていくことで、
少しずつ勝てるようになりました。

井上 実際にチームが変わっていかれたわけですね。

小川 インターハイ準優勝や春高バレー3位など、
   日本一を狙える位置につくようになりました。

そんな中、2000年4月に大山加奈や荒木絵里香といった
優秀な選手たちがゴソっと入部してきたんです。

大山は身長187センチ、成徳の付属中学で
全国優勝したエースでしたし、
荒木もバレーの経験は少なかったものの、
186センチと高い身体能力を持っていました。

これほどの選手は当時日本中を見回してもいませんでしたし、
日本のバレー界にとって大きな宝でしたので、
この子たちを潰してはいけないと。
指導者としての責任をものすごく感じました。

それまでは「俺が、俺が」っていう気持ちがすごく強くて、
自分が上から選手を引っ張るんだと思っていたんですけど、
彼女たちが入ってきた頃から、
逆に自分は下から選手を支えようという考え方に変わりました。

そして2002年、大山と荒木が3年生の時に
春高、インターハイ、国体で優勝し、
三冠を達成することができたんです。

この時、私は多くのことを選手から教わりました。

選手が主体的に取り組んでいたり、
選手たちだけで上手くチームが回っている時には、
監督は口を出すべきではないと。

井上 ああ、選手の邪魔をしない。

小川 もちろんすべて選手たちだけではできないので、
   私は常にコートに立って選手を観察します。

ただ、教え過ぎない、押しつけないということをしながら、
選手たちが自分で工夫する環境をつくっていくようにしているんです。

やっぱりコートで戦う選手自身が
自立しないと頂点には立てない。

自分で自分のスイッチを入れられない、
常に監督からスイッチを入れられて頑張るという状態では、
本当の意味で強くならないのだと思います。
 
2014.07.17

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