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吉田松陰 幕末憂国の志士。名は寅次郎。禁を犯して海外渡航を企て、 獄に下る。のち萩に松下村塾を開き、子弟を教育する。 安政の大獄で刑死(1830~59)。 凡そ人一日この世にあれば、 一日の食を喰らい、一日の衣を着、 一日の家に居る。 なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや 安政元年3月28日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。 その前夜、松陰は金子重輔と共に 伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り付け、 海外密航を企てた。 しかし、よく知られるように失敗して、 牢に入れられたのである。 「一つお願いがある。 それは他でもないが、 実は昨日、行李(こうり)が流されてしまった。 それで手元に読み物がない。 恐れ入るが、何かお手元の書物を 貸してもらえないだろうか」 牢番はびっくりした。 「あなた方は大それた密航を企み、 こうして捕まっているのだ。 何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。 ど っちみち重いおしおきになるのだから」 すると松陰は、 「ごもっともです。 それは覚悟しているけれども、 自分がおしおきになるまでは まだ時間が多少あるであろう。 それまではやはり一日の仕事をしなければならない。 人間というものは、一日この世に生きておれば、 一日の食物を食らい、一日の衣を着、 一日の家に住む。 それであるから、一日の学問、 一日の事業を励んで、天地万物への御恩を 報じなければならない。 この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」 この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸した。 すると松蔭は金子重輔と一緒に これを読んでいたけれど、 そのゆったりとした様子は、 やがて処刑に赴くようには全然見えなかった。 松蔭は牢の中で重輔に向かってこういった。 「金子君、今日このときの読書こそ、 本当の学問であるぞ」 牢に入って刑に処せられる前になっても、 松蔭は自己修養、勉強を止めなかった。 無駄といえば無駄なのだが、 これは非常に重要なことだと思うのである。 人間はどうせ死ぬものである。 いくら成長しても、 最後には死んでしまうことに変わりはない。 この「どうせ死ぬのだ」という わかりきった結論を前にして、 どう考えるのか。 松陰は、どうせ死ぬにしても 最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。 |
2020.09.15 |
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