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伊能忠敬 江戸時代に歩いて日本列島を横断し、 日本で初めての実測地図を つくった伊能忠敬。 夜になると、星空を見上げていた忠敬。 50歳になっても、 夢をあきらめていなかった忠敬。 55歳から17年間、 一歩一歩踏み出し続け、 地球一周分を歩きぬいた忠敬。 考えてみると、忠敬の人生は、 夢に向かって一直線に 突き進んだわけではありません。 忠敬は、いつだって自分に 与えられた環境を受け入れ、 ご縁を大切にし、 ご縁をいただいた人たちを 笑顔にするために、 自分にできることを 精一杯やり続けたのです。 婿入りした当初は、 忠敬はひたすら伊能家の当主として 家族や従業員を大切にし、 商人として、お客様を大切にしました。 人間は与えられた場で 努力を重ねれば、必ず成長します。 成長すると、人生の扉が開き、 次のステージに上っていけます。 そしてそこでは、成長した分だけ、 一回り大きなことができる 自分になっているのです。 ちょうどその頃、 天明の大飢饉が起こり、 日本中で餓死者が続出しました。 そんな中、佐原の町では 奇跡が起こるのです。 餓死者がゼロ……! なぜ佐原で餓死者が 出なかったのかというと、 その陰には忠敬の存在がありました。 伊能家の蔵には、お酒の原料である お米がたくさん眠っています。 忠敬は、そのお米を無償で地域の 人々に分け与えたと言われています。 そんな忠敬は、きっと 多くの人から愛され、 応援されたのだと思います。 だからこそ、忠敬の人生は、 夢であった天体観測を超えて、 夢にすら描いていなかった、 『大日本沿海輿地全図』の 作製という、歴史的大偉業へ 運ばれたのではないでしょうか。 夢に生きるとは、 やりたいことや好きなこと だけをやることではないのです。 夢に生きるとは、 目の前のことをすべて受け入れ、 そのときにできる小さな一歩を 踏み出し続けること。 夢に生きるとは、大切な人たちを、 ちゃんと大切にすること。 チャンスはいつだって、 今、目の前にあるということです。 そして忠敬が大切にしたのは、 家族やお客様、地域の人々 ばかりではありません。 忠敬は、東日本の第一回測量に 出かける際に、 「隠居の慰みとは申しながら、 後世の参考ともなるべき 地図を作りたい」 という手紙を幕府に宛てて出しています。 年老いた忠敬が、身体も心もきついのに、 測量をやり遂げることができたのは、 「今自分がやっていることが、 必ず後世の日本人のためになる」 という誇りがあったからなのでしょうね。 そして忠敬の言う 「後世の日本人」とは、 誰のことでしょう? そうです、私たちのことです! 忠敬は、後世に生きる私たちのことも、 大切に思ってくれていたんですね。 日本の歴史には、愛が溢れています。 |
2016.08.29 |
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