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旧敵に「師」と仰がれる日本人の生き方★ 惠 隆之介(ジャーナリスト) ──大東亜戦争で駆逐艦「雷」の 艦長だった工藤俊作中佐の顕彰に 力を注がれていますね。 工藤俊作という名前を、 おそらくほとんどの日本人は 知らないと思います。 昭和17年の インドネシア・スラバヤ沖海戦で 撃沈されたイギリス艦船の漂流者 422名を救助した 帝国海軍の中佐です。 小さな駆逐艦に、 乗組員220人の2倍近い将兵を 乗艦させた上に、 敵兵である彼らをゲストとして 厚くもてなしました。 この事実は、 最近まで誰も知りませんでした。 私は5年間にわたり数少ない資料や 生存者の証言を手掛かりに 工藤中佐の足跡、人物像を 研究してきましたが、 調べれば調べるほど その個性とスケールの大きさに 驚かされました。 戦闘の最中、危険を顧みず 多くの敵兵の救助を決断した 工藤俊作という偉大な人物を 私は同じ日本人として誇りに思いますし、 人々に知らせずにはいられないのです。 ──研究を始められたきっかけは? 平成15年6月、NHKラジオの 『ワールドリポート』を聴いていて、 私は身震いするほどの感動を覚えたのです。 それはロンドン発のリポートでした。 リポーターは 「このような美談が、なぜ日本で 報道されなかったのだろうか」 と興奮した口ぶりで語っていました。 番組に情報を提供したのは元英国海軍大尉で、 後に駐スウェーデン大使などを歴任した サムエル・フォールという元外交官でした。 ──工藤中佐に命を救われた 一人だったのですね。 はい。番組はフォール卿の 次のような話を報じていました。 その時、400人以上の将兵たちは 24時間近くジャワ海を ボートや木板に乗って漂流しながら、 皆すでに 生存の限界に達していたというのです。 中には軍医から配られた自決用の劇薬を 服用しようとする者もいました。 そういう時、目の前に突然 駆逐艦「雷」が現れる。 これを見たフォール卿は 「日本人は野蛮だ」 という先入観から、機銃掃射を受けて 殺されると覚悟を決めたといいます。 ところが、「雷」は 直ちに救助活動に入り、 終日をかけて全員を救助した。 フォール卿がさらに感動したのは この後です。 重油と汚物にまみれ、弱り切った将兵を 帝国海軍の水兵たちが 抱えながら服を脱がせ、 汚れを丁寧に洗い流し、 自分たちの被服や貴重な食料を提供し、 友軍以上に厚遇しました。 さらに工藤中佐が英国海軍士官を 甲板に集めて敬礼し、 「私は英国海軍を尊敬している。 本日、貴官たちは帝国海軍の 名誉あるゲストである」 と英語でスピーチしたというのです。 ──感動的なお話です。 フォール卿も 「奇跡が起こった」 「夢を見ているのではないか」 と思って自分の腕をつねったと 語っていました。 そして最後に工藤中佐のこの行為を 「日本武士道の実践」 と絶賛していたのです。 戦後生まれの私は、大東亜戦争中、 日本は悪いことばかりしたという 自虐史観の中で育ちました。 海上自衛隊幹部候補生時代も 信じたくはありませんでしたが、 心のどこかに「もしかしたら」という 疑念があったのです。 それだけにこの証言を聞いて 言葉にならないほど感動を覚えました。 「ああ、自分が思っていたとおり 帝国海軍はやはり偉大だったのだ。 これぞまさしく真の武士道だ」と。 文筆活動を通して、後世のためにも この史実と工藤中佐のことを 書き残さねばならないという使命感が、 この時湧いてきたのです。 |
2016.07.29 |
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