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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.220

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一語履歴 vol.220
日本代表監督として最も学んだこと...
一語履歴 vol.219
この道や行く人なしに秋の暮...
一語履歴 vol.218
劇団四季で学んだ一流プロの心得...
一語履歴 vol.217
惻隠(そくいん)の情...
一語履歴 vol.216
リーダーに必須の3つの条件...
一語履歴 vol.215
いい会社の条件...
一語履歴 vol.214
柔の道で真の人間をつくる...
一語履歴 vol.213
自分を育てるのは自分...
一語履歴 vol.212
旧敵に「師」と仰がれる日本人の生き方...
一語履歴 vol.211
松下幸之助さんは、利益というものについて...
ウイッグメーカー・スヴェンソンの
経営トップにして、かつて日本卓球界の
全盛期を牽引し、代表監督も務めた
異色の経歴を持つ兒玉圭司さん。

☆ 日本代表監督として最も学んだこと ☆

山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所所長)
    ×
兒玉圭司(スヴェンソン会長)

【兒玉】
現役時代に世界選手権で
12個の金メダルを獲得し、
ミスター卓球と呼ばれた
荻村伊智朗さんとともに、
日本代表の男女の監督をやってほしいと、
日本卓球協会から打診があったんです。

荻村さん31歳、私29歳の時でした。

私は大学卒業後、すぐに母校である
明治大学卓球部で助監督を務め、
3年後に監督に就任する一方、
卒業の翌年に兄と二人で
エレベーターメーカーを起業したんです。

まだよちよち歩きの会社でしたので、
打診を断るつもりでした。

ところが、早起きが
大の苦手だった荻村さんが、
朝6時に私の自宅に来ましてね。

「将来の日本卓球界のために
 何とか二人で頑張ろうじゃないか」

って、すごい熱意で勧誘されたんです。

また、大学時代の恩師から

「人から何かを依頼されるのは
 非常に名誉なことだ。
 そういう仕事は自分がやりたいと
 思ってできるものじゃない。

 だから、多少無理をしてでも
 腹を括ってやるべきだ」

と言われました。

これらの言葉に心を打たれ、
引き受けることに決めたんです。

【山中】
日本代表監督として、
最も学ばれたことは何ですか。

【兒玉】
努力は才能に勝る、
思いは叶う、
絶対に諦めない執念、
大きくはこの三つですね。
 
2016/09/24

郡美矢(こおり・みや)さん。
聾というハンディを克服し
牧師や国際手話通訳者として
活躍される女性です。

郡さんのご両親と、三人兄妹のうち二人が
いずれも聾という家庭環境で育たれました。

☆ どんなことでも諦めない。
 その姿勢が私の人生を拓いてきた ☆

郡美矢(牧師・国際手話通訳者)

聞こえないから辛いというよりも、
周囲から

「聞えないからこれはだめ、あれは無理」

って言われるのが悔しかったですね。

本当は皆と同じようにできるのに、
どうしてだろうという思いがありました。

ただ、私の両親は

「聞こえないからできない」

ではなく、

「聞こえなくてもできる」

ということをたくさん教えてくれたんです。
 
例えば、学校に連絡しなければ
いけないことがあっても、
両親は耳が聞こえる長男を
頼るということは絶対せず、
自分で学校まで訪ねて行くなどして
用件を伝えていました。

努力してできることは
全部自分でやる。
そういう姿を見て育ったことが、

「自立して生きよう」

という、私のいまの姿勢に
繋がっているのだと思いますね。

母の口癖は、

「私にできることが
 あなたにできないはずがない」

でした。

勉強も90点以上でないと納得しません。
 
2016/09/22

☆ どんな魔法を使ったの? ☆

皆藤 章(京都大学大学院教授)
  ×
今野 華都子(アイテラス社長)

【皆藤】
10年ほど前のことですが、
ある医者から

「カウンセリングをしてほしい」

と患者さんを紹介されまして、
その女性はがんを患っていて
治る見込みがありませんでした。

だから自分は何でこんな苦しい
思いをしなければいけないのか、
という思いが強い。

それにまだ二十代だったので、
周りの人を見ると皆が
健康そうに見えるのが
余計に辛くて、誰とも
交わることなく自分の殻
に閉じこもっていたんですよ。

彼女とは一回だけの出会いで、
50分間のカウンセリングでしたが、
そういう状態だったので
ほとんど何もお話しされません。

ただ、こちらが尋ねたことには、
時々答えてくれたりする程度で
時間がきて、病院に戻っていかれた。

そうしたら翌日、
その医者からメールが来て、

「あの患者さんは先生と会われてから、
 ものすごく変わりました。
 とても前向きに私たちに
 話をしてくれて、頼って
 くれるようになりました。

 先生は一体どんな魔法を
 使われたのでしょうか」

と書かれてありました。

【今野】
皆藤先生はどんな魔法を使われたのですか。


【皆藤】
それが僕はただ話を聞いていただけで、
理由がよく分からない。

でも何かが起こったことは確かです。
 
2016/09/22

『石田梅岩「都鄙問答」』

松下幸之助翁の座右の書
『都鄙問答(とひもんどう)』は、
パナソニック(前・松下電器産業)
創業者で“経営の神様”と
尊崇されている松下幸之助翁が
座右の書とした名著で、
翁が戦後
「繁栄によって平和と幸福を」という
理念のもとに創設した「PHP研究所」は、
『都鄙問答』を著した石田梅岩に倣ったものだ。

『都鄙』という字を初見で間髪を入れずに
「とひ」と読める人は
そう多くはないだろう。

「辺鄙な村」というときの「ぴ」だが、
「ひ」とは読みづらい。

だが、「ひな」と読める人は
たくさんいるはずだ。

「ひなびた村」というときの
「ひな」という漢字なのだ。

つまり、『都鄙問答』の「都鄙」は
「都会と田舎」
「都みやこと地方」という意味である。

『都鄙問答』(四巻)は、
江戸中期に活躍した“石門心学の創始者”
石田梅岩が、門弟たちや士農工商の枠を
超えて多くの人たちと交わした
質疑応答を一冊にまとめた「修養書」。

私塾を開講して十年後の
元文四(一七三九)年七月、
五十五歳のときに刊行された。
 
2016/09/22

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