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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.212

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素晴らしく生きた人の人生に触れる時、
誰もが心を打たれ
自分の生き方を振り返ることでしょう。

★ 旧敵に「師」と仰がれる
       日本人の生き方 ★

惠 隆之介(ジャーナリスト)
   

──大東亜戦争で駆逐艦「雷」の
  艦長だった工藤俊作中佐の顕彰に
  力を注がれていますね。

工藤俊作という名前を、
おそらくほとんどの日本人は
知らないと思います。

昭和17年の
インドネシア・スラバヤ沖海戦で
撃沈されたイギリス艦船の漂流者
422名を救助した
帝国海軍の中佐です。

小さな駆逐艦に、
乗組員220人の2倍近い将兵を
乗艦させた上に、
敵兵である彼らをゲストとして
厚くもてなしました。

この事実は、
最近まで誰も知りませんでした。
私は5年間にわたり数少ない資料や
生存者の証言を手掛かりに
工藤中佐の足跡、人物像を
研究してきましたが、
調べれば調べるほど
その個性とスケールの大きさに
驚かされました。

戦闘の最中、危険を顧みず
多くの敵兵の救助を決断した
工藤俊作という偉大な人物を
私は同じ日本人として誇りに思いますし、
人々に知らせずにはいられないのです。
  
──研究を始められたきっかけは?

平成15年6月、NHKラジオの
『ワールドリポート』を聴いていて、
私は身震いするほどの感動を覚えたのです。

それはロンドン発のリポートでした。
リポーターは

「このような美談が、なぜ日本で
 報道されなかったのだろうか」

と興奮した口ぶりで語っていました。

番組に情報を提供したのは元英国海軍大尉で、
後に駐スウェーデン大使などを歴任した
サムエル・フォールという元外交官でした。
  
──工藤中佐に命を救われた
  一人だったのですね。

はい。番組はフォール卿の
次のような話を報じていました。
 
その時、400人以上の将兵たちは
24時間近くジャワ海を
ボートや木板に乗って漂流しながら、
皆すでに
生存の限界に達していたというのです。

中には軍医から配られた自決用の劇薬を
服用しようとする者もいました。

そういう時、目の前に突然
駆逐艦「雷」が現れる。
これを見たフォール卿は

「日本人は野蛮だ」

という先入観から、機銃掃射を受けて
殺されると覚悟を決めたといいます。

ところが、「雷」は
直ちに救助活動に入り、
終日をかけて全員を救助した。
 
フォール卿がさらに感動したのは
この後です。

重油と汚物にまみれ、弱り切った将兵を
帝国海軍の水兵たちが
抱えながら服を脱がせ、
汚れを丁寧に洗い流し、
自分たちの被服や貴重な食料を提供し、
友軍以上に厚遇しました。

さらに工藤中佐が英国海軍士官を
甲板に集めて敬礼し、

「私は英国海軍を尊敬している。
 本日、貴官たちは帝国海軍の
 名誉あるゲストである」

と英語でスピーチしたというのです。
  
──感動的なお話です。

フォール卿も

「奇跡が起こった」
「夢を見ているのではないか」

と思って自分の腕をつねったと
語っていました。
そして最後に工藤中佐のこの行為を

「日本武士道の実践」

と絶賛していたのです。
 
戦後生まれの私は、大東亜戦争中、
日本は悪いことばかりしたという
自虐史観の中で育ちました。
海上自衛隊幹部候補生時代も
信じたくはありませんでしたが、
心のどこかに「もしかしたら」という
疑念があったのです。

それだけにこの証言を聞いて
言葉にならないほど感動を覚えました。

「ああ、自分が思っていたとおり
 帝国海軍はやはり偉大だったのだ。
 これぞまさしく真の武士道だ」と。

文筆活動を通して、後世のためにも
この史実と工藤中佐のことを
書き残さねばならないという使命感が、
この時湧いてきたのです。
 
2016/07/29
人の想いによってがんが完治する
ケースも実際に存在します。

★ 髪の毛一本にも「ありがとう」 ★

工藤 房美
  ×
村上 和雄(筑波大学名誉教授)

【工藤】
抗がん剤治療は9月から11月までの
間に6回受けたのですが、
治療期間中は寝ても
覚めても痛くて苦しくて。

いつ終わるともしれない苦しみに
負けそうになりましたけど、
その間もずっと「ありがとう」
だけは言い続けました。

そのうちに髪の毛がごっそりと
抜け落ちましてね。

びっくりしてすぐにゴミ箱に
捨てようとしたんですけど、
この一本一本も私の体の
一部だったと思うとどうしても
捨てることができなくて……。

それで一本一本の髪にも
「ありがとう」とお礼を言ってから
捨てることにしたんですよ。

【村上】
髪の毛一本一本にまで。

【工藤】
髪の毛って10万本くらいある
といわれているので気の遠くなる
ような思いでしたけど、時には
徹夜をしてでも言い続けました。

でもそうやって続けていると、
ある時、ありがたい気持ちが
小さな雪のように心に
積もってくる感じがして、
とうとうそれが溢れ出てきたんですよ。

そうしたらとてもいい気分になって、
生きるとか死ぬとかいうことも
どうでもよくなってしまったんです。

そして遂に髪の毛が一本も
なくなった時のことですが、
息子が私に向かってこう言ったんです。

「お母さん、この特別な状況を
 楽しまんといかんよ」って。

【村上】
それはすごい言葉だな。

【工藤】
私もびっくりしましてね。

でもよく考えたら、
それまでの私の人生の中には、
楽しむという選択肢がなかった
ことに気づかされたんですよ。

ですから、それからは息子が
プレゼントしてくれた
金髪のかつらを被って、
お化粧をしてお洒落もして
外に出るようにしました。

とにかく毎日を少しでも楽しもうと。

それから近くに住んでいる人が
朝日を浴びるといいよ
と教えてくれたので、毎朝目覚めると、

「七十兆分の一の奇跡で
 きょうも生かされています。
 ありがとうございます」

と言ってから、朝日を浴びに
外に飛び出していました。

【村上】
とても余命一か月の
がん患者とは思えないですね。

【工藤】
そうなんですよ。

そのうちにどんどん体が軽くなって
いくのに気づいたので、
翌年の2月末に病院で検査を
してもらうことにしました。

そうしたら、何とがんが
跡形もなく消えていたんですよ。
 
2016/07/27

アフリカやアジアでマラリア撲滅に
尽力される水野達男さん。

前職の住友化学時代、
マラリア防虫蚊帳の普及に走り回るものの、
思うように実績が出せず、疲労も重なって
水野さんは鬱状態になってしまいます。

★ 途上国のビジネスに懸ける思い ★

水野達男(マラリア・ノーモア・ジャパン専務理事)

心労や過労が重なったのでしょうね。
アフリカ事業を担当した翌年、
日本にいる時に突然腰が抜けて
動けなくなってしまったんです。

医者からは鬱状態と診断され、
とても休めない状態だったのに
40日間、自宅で休養することを
余儀なくされました。

「まともに仕事に復帰できるかどうか
 分からない。仮に仕事に戻れても、
 アフリカの事業が
 うまくいくはずがない」

「これで俺のキャリアは終わったな」

最初の20日間ほどは一日中、
そんなことばかり考えていました。
自分の人生に
これほど失望したことはなかったですね。

でも、いま思い返しても不思議だったのは、
いくらか体が回復してきた時、
それまで忘れていた
アフリカの一人の女性の姿を
ふと思い出したんです。

それはワシントンDCの
国連基金事務所で見たビデオに映っていた
ウガンダの若い母親です。

マラリアで高熱を出し
病院のベッドで寝ていた赤ちゃんが
亡くなった時、
少し後ろで見ていた母親は
悲しみのあまり、
あらぬ方向を見つめて
病室の中をあっちへ行ったり、
こっちへ行ったりしていた。
 
この映像を見た時、私は衝撃のあまり
涙が止まりませんでしたが、
仕事の忙しさに紛れて
ずっと忘れていました。

自分がどん底にあって
この映像が甦ってきた時、
ある強烈な思いが
私の心の中から湧き上がってきたんです。

「おまえが本当にやるべきなのは、
 こんなふうに子供を亡くして
 悲しむ人を少しでも
 減らすことではないのか」と。

何のため、誰のために仕事しているのかを
一人でじっくり考えました。
そして、それが明確になると
いろいろなアイデアが湧いてくるんですね。

「そうだ。いまこの瞬間も、うちの蚊帳を
 必要としている人は大勢いる。
 当面は赤字でも、安い値段で供給すれば、
 いずれ在庫がなくなり
 工場の稼働率が上がって、
 製造コストも下がるんじゃないか」
 
2016/07/24

バナースペース

展示場 櫛田建設株式会社

〒971-8134
福島県いわき市鹿島町飯田字八合22
福島テレビハウジングプラザ内

Mail infous@kushida-web.com
TEL 0246-76-0255
FAX 0246-76-0256
定休日:水曜日