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世間から相手にされん人たちの傍にいてくれんね 古巣馨(カトリック長崎大司教区司祭) (古巣) 私が神父になったのは昭和五56年、26歳の時です。 カトリックの神父は生涯独身を貫くことを神に誓います。 還俗し家庭を持つ学生時代の友人も少なくない中、 自ら望んで神父への道を進み始めたわけではない私は、 このまま進んでよいのかと苦悩しました。 24歳の時、神父への道を断念しようと決めた私は、 長崎県五島列島の奈留島の神父に報告するために帰省しました。 そして、神父のいる司祭館に入ろうとしたその時でした。 喪服を着た高齢の女性が突然、私に声をかけてきたのです。 「馨君、いろいろ悩みはあるかもしれんけど、 私たちみたいに世間から相手にされん人たちの傍にいてくれんね」 この女性は昨日、息子の葬儀を出したばかりの母親でした。 聞けば、都会に働きに行った息子はどこで向きを変えたのか、 組員となり大阪湾に水死体で上がったというのです。 島に戻った遺骨を前に、腑抜けるほどの悲しい別れでした。 女性は500円札を取り出し、四つ折りにしてちり紙に包み、 そっと私のポケットに入れながら 「馨君、頑張って神父にならんばよ。 私たちが頼るのは神様だけぞ。 だから、あんたたちが傍にいて話ば聞いて、 一緒に泣いてくれんば、私たちは救われんとよ」 と、手を握って涙ぐみました。 夫に先立たれ、病気や事故で次々と子供を見送り、 爪に火を点すような生活、それでも人を気遣うのです。 その時、永遠なるお方の前に立たされた思いでした。 救いは脳にではなく心に宿るものだと初めて知りました。 思えば分けてもらったものでいつも生かされてきました。 分けてくれたのは、障碍を抱えた子供を持つ家庭、 生活保護を受けている家庭、離婚している家庭…… いくつもの傷を刻みながら、 「ただで与える」不思議な豊かさを持っている人たちです。 イエスの福音の言葉に 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。 あなたはこれらのことを、知恵のある者や賢い者には隠して、 幼子のような者にお示しになりました。 そうです。父よ、これは御心に適うことでした」 とあります。 「幼子のような者」とは、世の中では頭数に入れてもらえず、 望みなく、頼りなく、心細く生きて、 神にしか頼ることのできない人たちのことです。 私は神父になってから机上の哲学や神学ではなく、 「幼子のような者」たちから福音の本当の意味を学びました。 |
2022.01.20 |
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