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自分は開闢以来の第一人になる 安岡正篤師がこう言っている。 「幕末佐賀の名君鍋島閑叟の師・古賀穀堂の自警に 〝自分は開闢以来の第一人になる〟の語がある。 大変な天狗と思われるかも知れません。 然し違うのです。それは第一人を〝だい〟一人と 読むからです。第は〝ただ〟と読むのです」 宇宙開闢以来の第一人の自分である、 粗末に生きてはならぬ、と穀堂は自戒したのだろう。 穀堂のみではない。 私たちもまた開闢以来の第一人の人生を生きている。 第一人の人生を生きるとは、 自分の人生に責任を持つことである。 言い換えれば、人は皆、 自分の人生のリーダーとして生きなければならない、 ということである。 古来、リーダーたる者には必須の条件がある。 「修身」である。 気まぐれ、わがまま、むらっ気を取り去り、 自分という人間を少しでも立派に磨いていく。 これが「修身」である。 経世の書『呂氏春秋』にこういう話がある。 殷の国を開いた湯王という王がいた。 湯王は名宰相の伊尹に、 天下を取ろうと思うがどうすればよいか、と問う。 伊尹が答えて言う。 天下を取ろうなどという欲望に走ったら、 決して天下は取れない。 それどころか自分の身が先に取られてしまう。 昔から聖王といわれるような人は、 まず自分の身を創り上げてから天下を得た。 天下を治めようとする者は、 天下を取ろうなどという考えはさて措いて、 まず自分を修めなければならない。 湯王は伊尹の諭しを実践した。 上に立つ者の必読書とされる 『大学』が最も重んじるのも「修身」である。 身を修めていない小人が 上に立つと災害が並び至る、とも指摘している。 その修身の土台となるのが格物・致知・誠意 ・正心である。 自分の立つ立場に真剣誠実に全力を尽くす。 それが修身の根本と『大学』は教えている。 「修身」の度合いを心理学的に考察した人に薄衣佐吉氏(故人)がいる。 氏は心は発達するものであり、七つの段階があるという。 第一は自己中心の心。赤ちゃんがそれである。 自分の欲求だけに生きている。 第二は自立準備性の心。 幼稚園児の頃である。用事を手伝ったりする。 第三は自立力の段階。 成人を迎え自立する。 第四は開発力の時代。 困難に立ち向かい、開発改善していく力を持つ。 年齢的には三十~四十代か。 第五は指導力。 四十~五十代になり部下を指導していく。 第六は包容力。 好き嫌いを超えて人を包容していく。 第七は感化力。 その人がいることで自ずと感化を与える。 最高の状態と言えよう。人間、晩年にはかくありたいものだ。 ここで留意したいのは、人は歳月とともに身体的年齢は増えるが、 心の発達は必ずしも歳月に比例しないということである。 薄衣氏によれば、年は取っても七十五%の人が二段階の状態で終わり、 三段階までいくのは十五%、四段階以上に至るのは十%という。 修身の厳しさを思わずにはいられない。 開闢以来の第一人として 自らの心を高めていきたいものである。 |
2021.01.28 |
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