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こういう人間でありたい 歴史を通じて「人望力」の研究を続けてきた作家/歴史研究家の瀧澤中さん。 (瀧澤) OECD(経済協力機構)が2009年に実施した 「生徒の学習到達度調査」の統計で、興味深い数字があります。 「ほとんどの教員が生徒のためを思っている」 という設問に対して生徒が回答しているのですが、 「そう思う」「強くそう思う」という回答はOECDの平均で66%。 6割以上の生徒が、「先生は自分たち生徒のことを思ってくれている」、 と感じているんです。ところが、日本はなんと、28%なのです。 私はこの数字をはるかに上回る先生方が 生徒を思っていると信じて疑いませんが、 なぜ生徒がそう感じないのかと考えるとき、 もしかしたら、一所懸命教育をされているその方向性に 課題があるのではないかと感じるのです。 少し前に、受験のために歴史などの授業時間を削って 英語や数学に振り向けた高校が問題になりました。 これは、「目的のためなら手段を選ばなくていい」 と教師が生徒に言っているのも同じ自殺行為だと私は思いました。 結果、受験に成功しても、生徒はそんな先生方を 「手本にすべき人間」として敬うでしょうか。 「筆塚」というものがあります。 これは寺子屋の先生が亡くなったときに 教え子たちがお金を出し合ってつくるものですが、 全国各地にたくさん残っています。 お金を出して先生の遺徳を偲び石碑を建てる。 たとえば、ある寺子屋に1ヶ月に3文字しか覚えられない子がいました。 寺子屋の師匠はその子が生きていく手立てを見つけてあげたいと、 酒薦(さかごも)書きを勧めます。 お酒の樽に張るラベルの独特な文字ですね。 その子はのちに、江戸でも評判の酒薦書きになります。 この師匠はすべての教え子にこういう愛情をかけました。 だから慕われ敬われ、筆塚が建つわけです。 ここで特に申し上げたいのは、 おそらくこの寺子屋の師匠は、 現代の高校の教員よりも知識ははるかに 劣っていたであろうということです。 それでも寺子屋の師匠に人望があった理由は、 その能力ではなく人間性にあったのではないか。 能力がある、それだけでは人はついてこないと思います。 教育現場だけではありません。 様々な分野で「能力はある、実績もあるのに、なぜかうまくいかない」 という人がいる。 その原因は、「人望の力の有無」にあるのではないでしょうか。 最初に申し上げたように、「人望力」は能力というよりは、 心構えであったり志であったり、他人を思いやる気持ちといった、 誰もが心掛ければ身につくものです。 いわば剣道や柔道、あるいは茶道などにある「型」です。 「こういうときはこう言えばいい」といった テクニックとしての〝表面的な型〟ではなく、 「こういう人間でありたい」という〝心の型〟です。 |
2021.01.27 |
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