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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.510

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一語履歴 vol.510
よく人のいうことを聞く...~感動不足...
一語履歴 vol.509
いい会社...
一語履歴 vol.508
根を養う糧... ~人間力...
一語履歴 vol.507
塩... ~真に学ぶ...
一語履歴 vol.506
心を回す... ~満足度...
一語履歴 vol.505
ありがとう運動... ~心の成長...
一語履歴 vol.504
所作... ~自分の命...
一語履歴 vol.503
我が家の朝食の姿... ~一つのことを...
一語履歴 vol.502
子供たちを変え社会を変える... ~一歩一歩...
一語履歴 vol.501
JAL... ~思い...
日本の医療に大きな足跡を残すと共に、
著書や講演などを通じて多くの人々に
人生の貴重な示唆を与えてきた医師の日野原重明さん。

「日野原医師に学んだ健やかに長生きする秘訣」

(村上)
日野原先生は、アメリカのレオ・バスカーリア教授が書いた
『葉っぱのフレディ』という絵本をもとにミュージカルの脚本を書き、
子供たちと共に出演されました。

2000年、88歳の時です。

「葉っぱの春夏秋冬は、人間が生まれて成長し、
死んでいく姿と同じだ。
この話を、森へ遊びに来る若者や老人の姿で表す
ミュージカルにしよう」と挑戦されたのです。

日野原先生は、
いまの社会は「運動不足」より「感動不足」のほうが深刻だと考え、
「感動」という心の運動を大切にしておられました。
ご自身がどんどん新しい挑戦をするのは、
「感動を追いかけているからかもしれません」
と述べておられます。

新たに何かを始めることの中には、
心が躍動するきっかけがたくさん詰まっています。
何歳になってもこれまで知らなかった自分の姿を知り、
それが感動に繋がるというのです。

例えば、日常の中でいつもとちょっと違う道を散歩してみる、
久しぶりに美術館に行ってみる、
そういう小さいことでもたくさんの発見や
感動を得られるはずだと考えておられました。
2020/11/09
寝具の「エアウィーヴ」や鍋製品「バーミキュラ」などを
大ヒットさせてきた、PRのプロ・笹木郁乃さん。

(――PRを成功させる上で特に大事なことは何だと思われますか。)

〈笹木〉 
PRは営業と違って物の売り買い、
お金のやり取りがないので、
紹介してくださる雑誌社やテレビ局の方に
直接メリットはないんです。

ですから、相手にメリットを感じてもらえる人にならないと
だめだということは常に意識していて、
人に会う時にも、相手の方が喜ぶ情報を持った情報屋さんでいようと、
できる限り事前のリサーチをして臨んできました。

また、PRを成功させるためには、
相手の方と一緒にいて楽しいと感じてもらい、]
〝仕事を超えた関係〟を築いたほうがよい気がします。
お金のやり取りがない中で相手の心を動かすのは、
やっぱり「笹木さんが言うなら」と思わせる人間同士の信頼関係が必要です。

(――PRは人間同士の心の通った信頼関係が大事だと。)

〈笹木〉 
あとプレスリリースも随分工夫してきました。
普通のプレスリリースは、「いついつに新商品を発売します」
のようなお知らせになりがちですが、
大企業と同じような内容では効果はありません。

特に知名度のない中小企業では、
お手紙風の文面にしたり、
主語を「私」にして、「私はこういうことを知らせたい」
といった思いを伝えたり、自社の取り組みが社会にとってどのような意義、
意味があるのかという社会性を入れないと注目してもらえないんです。

(――まさに笹木さんが体験から得たPRの秘訣といえますね。)

〈笹木〉 
私の人生を振り返ってみると、転部や転職をしたり、
自分の気持ちに素直に真っ直ぐ、
とことん向き合ってきたことでいまがあるという気がしていますので、
これからも、自分に素直に生きていくことは大事にしたいですね。

それから、従来のPRは、高いお金を出して専門会社に
依頼するのが当たり前でしたが、本来PRって身近なもので、
勉強すれば誰でもできることなんですね。
そもそも、情熱を伝え相手の心を動かす必要があるので、
自社愛がある社内でやるほうが絶対に効果が出やすいと思います。
2020/10/30
約350年続いた人種差別(アパルトヘイト政策)から
黒人たちを解放したネルソン・マンデラが、
この世を去って6年が過ぎました。
実に27年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、
祖国のために闘い抜いた「南アフリカの父」

2013年12月5日、マンデラは95歳でその生涯を閉じましたが、
彼の最も優れた資質として挙げられるのは、
一貫してぶれない姿勢でした。

マンデラは黒人と白人が共存する「虹の国」の実現という
一念を抱き続けていました。
そしてその一念を実現させるための戦略的思考は柔軟で、
その場その場で最も適切と思われるものを大胆に選んでいます。

投獄前には暴力も辞さなかったマンデラが、
釈放後は徹底して暴力を排除した姿勢はその最たるものと言えるでしょう。

また、マンデラは指導者として陰謀が大嫌いでした。
会議では自分の意見を言わずに黙っていて、
裏で他人の悪口を言いふらすような者には、
相手が白人であれ黒人であれ、激怒しました。

もう一つ付け加えれば、
マンデラはとにかくよく人の言うことを聞く人でした。
交渉ごとにおいては、全身で相手にぶつかっていくのですが、
自分の言いたいことを言うだけでなく、
相手が話し始めたらそれを遮ることなく聞く。
そして自分の立場を変える必要があれば
断固として変えることも厭いませんでした。

特筆すべきはこうした姿勢を誰に対しても貫いたことで、
彼の偉大さが感じられます。
2020/10/29

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