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最も尊きものは慈愛の徳に御座候 農家に生まれ、1歳半の時に左手に 大火傷を負い自由を失うも、 学問に一路邁進し世界的な学者となった野口英世博士。 黄熱病の研究に光をもたらした不屈の闘志は 数多くの伝記でも描かれていますが、 根底には「報恩」の心が絶えず湛えられていたことが、 遺されたいくつもの手紙から浮かび上がってくるといいます。 (八子弥) 野口博士は帰国時に、 「忍耐」という言葉をいくつかの場所に書き残しています。 貧困、そして左手が自由に使えないというハンディキャップ。 この2つを背負いながら勉学に励み、 自分に期待を寄せてくれる人たちの思いに応えて名を成すには、 相当な忍耐が必要だったのでしょう。 その博士は医学の研究を進めるとともに、 「人としての錬修」に努め、晩年には師である 小林先生に次のように書き送っています。 「此の世の中にて最も尊きものは慈愛の徳に御座候」 また、 「小生は如何(いか)なる任務を帯びて 此世に出で来たりたるやは存ぜず候も、 人道にさえ忠誠なればそれにて良きことゝ存候」 とも書いています。博士はこの言葉どおり、 慈愛の徳、人道への忠誠を第一として、 人々を苦しめる病原菌の研究に命を捧げました。 昭和2年、黄熱病の研究のため、アフリカに赴きます。その際、 「私は何ものも恐れない。 私はこの世界に何事かをなさんが為に生まれてきたのだ。 私はそれを完結したいと思うのである。 私の死すべき時が来たら私はそれに往く外はないのだ」 という手紙を書き残しました。 そして翌年、黄熱病に感染し、51歳でその生涯を終えます。 |
2020.10.16 |
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