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清、負けたらあかん 川辺清(五苑マルシングループ 代表) 当グループは、おかげさまで今年創業50周年の節目を 迎えることができました。 子供の頃、病で左足が不自由になり、 貧乏ゆえにガリガリに痩せていた自分が、 よもや全国200店舗、3000人もの従業員を抱える 外食グループを一代で築き上げようなどとは 思いも寄りませんでした。 「清、負けたらあかん!」 この強烈な一念こそが、なんの力もない私を ここまで突き動かした原点といえます。 靴の修理を生業としていた父親は しばしば家族を伴い各地に赴いていましたが、 私は足手まといになると言われ ずっと親戚の家に預けられて育ちました。 よそ者で足も不自由な私は 行く先々で虐めの対象となり、 小学3年の時に姉の嫁ぎ先で酷い虐待に遭い、 とうとう母に連れ戻されたのでした。 「堪忍やで、清。堪忍な……」 足を悪くした時、 そして親戚の家から連れ戻された時、 泣きながら私を抱きしめてくれた 母の温もりが私のすべてでした。 戻った家に父はおらず、 初めてまともに対面したのは 母が病で寝込んだ時でした。 父のところから 米をもらってきてほしいと頼まれ、 胸を躍らせて訪れた父の住まいには知らない女性がいました。 「おまえのような者は知らん」 思いもかけない言葉で追い返された私は、 帰路、涙を流しながら固く誓ったのでした。 あんな男に負けてたまるか。 俺は絶対あの男の上にいってやる。 そしてお母ちゃんを楽さしたる。 中学を出ると奈良の靴職人のもとへ奉公しました。 仕事は朝6時半から夜中の12時まで。 休みは月に2回のみでしたが、 早く一人前になりたい一心で懸命に働きました。 ところが2年経った頃、私は体を壊して 実家へ追い返されてしまいました。 結核でした。 俺は本当に駄目なやつだ。絶望した私は命を絶とうとして、 機関車に身を投げました。 ところが次の瞬間、私は傍らの草むらに倒れていたのです。 恐れに飛び退いたか、風圧に飛ばされたか、 ともかく私は生きていた。 ふと線路を見ると、ポケットから転がり出た5円玉が 身代わりに機関車に潰され、平べったくなっていました。 俺は5円玉や。 5円玉の輝きを見せてやる。 新たな決意に病魔も退き、 無事年季を全うした私は25歳で会社を創業。 以来、様々な困難を乗り越え、今日を築きました。 父は中学2年の時に亡くなりましたが、 その後も私は蟠(わだかま)りを抱え続けていました。 目を覚ましてくれたのは亡くなる前、 父と同じ墓に入れてほしいと言った母でした。 「お父さんは反面教師やったんや。 憎い目標があったから、 あんたここまでこられたんちゃうか?」 いまは二人のおかげで自分があると心の底から思えます。 この感謝の念と不屈の闘志を失うことなく、 私はこれからも夢とロマンを持って 事業に邁進してゆきます。 |
2013.10.01 |
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