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      次代に輝く住まいを創る

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一語履歴WORD vol.560

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一語履歴 vol.560
売ろうとしたら売れない...~許す...
一語履歴 vol.559
融通無碍...~聞く...
一語履歴 vol.558
苦手な教科の教員になる...~修練と勇気、あとはゴミ...
一語履歴 vol.557
歴史...~その歳なりに挑戦することがある...
一語履歴 vol.556
知識とコミュニケーション...~沈黙...
一語履歴 vol.555
世の中のムードに流されないこと...~道...
一語履歴 vol.554
人を育てる...~忠恕...
一語履歴 vol.553
人間力...~才能を伸ばす...
一語履歴 vol.552
鈴と、小鳥と、それから私...~目的をはっきりさせる...
一語履歴 vol.551
闘っていたのは自分一人ではない...
困った人たちに救援の手を差し伸べる
「おせっかい協会」会長の髙橋恵さんの活動の原点は、
父親が戦死した後、高橋さんの母親は女手一つで幼い子供たちを育てますが、
母親が手掛けていた事業は破産。
高橋さんの一家は極貧生活を強いられた挙げ句、
離ればなれになってしまうという壮絶な幼少期の体験にあります。

(高橋)
妹に続いて姉と私も離ればなれになり、
知り合いの家に預けられた私を待っていたのが壮絶ないじめだったんです。
その家のおばあさんから四六時中小言を言われ、否定され、
どこにも居場所がないように感じました。
何か失敗して手をついて謝っても、
これでもかというくらい頭を足で踏みつけられる。
私はこのおばあさんが怖くて怖くて仕方がありませんでした。

涙をいっぱい溜めてはトイレでよく泣いていましたね。
「お母さんや姉、妹はどうしているだろうか」と思っても、
母の苦労を考えると耐えるしかありませんでした。
ある日、トイレの小窓から鳥が飛んでいるのが見えたんです。
「鳥は自由でいいなぁ」と思った瞬間、
壁もない垣根もないところで自由に飛べる鳥たちのように、
私もどんな時もプラス思考で、
後を振り向かないで自由に生きていこうという思いが
心の底から湧き上がって、胸が高鳴りました。

私がお世話になって10年以上経った時、
そのおばあさんが危篤になったという報せが届きました。
最後に会っておきたい気がするけど、
どんな話をしたらいいんだろうと思って病室に入りました。
おばあさんはすっかり弱々しくなっていて、
最初にこうおっしゃるんです。
「当時はすまないことをしましたね」って。
私のことをずっと気にかけてくれていたと分かった瞬間、
それまであったわだかまりが消えていくのを感じましたね。

その時、思い出したのは鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されている
相花信夫さんという十八歳の特攻隊員が母親に宛てた遺書でした。
その母親は継母で、
相花少年は最後まで「お母さん」と呼べなかったことを詫びる内容です。

「母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。
今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん お母さん お母さんと」
と締め括られた遺書を見て私は号泣したんです。

私がお世話になったおばあさんもきっと、
謝らないでは死ねないという気持ちだったのでしょう。
この2人を通して人間は
死ぬ前にどうしても言っておきたいことを言えないでいると
あの世に行けない、
死ぬ時にその人の本心が現れると気づかされました。
「許す」ということが、
いかに人生において大事かということですね。
2021/04/29
営業人生で積み上げてきた車の販売実績は優に2400台を超える
――日本一BMWを売った男・飯尾昭夫さん。

〈飯尾〉
1981年に丸紅モータースが輸入車販売から撤退し、
私は日英自動車に入社しました。

私はそれまでお世話になったお客様も含めて、
徐々にお客様を増やしていき、2年目に年間58台を売り、
その会社のトップになったのです。
BMWからお誘いをいただいたのはその時でした。

日英の支店長から「辞めないでくれ」と
しきりに説得されていましたので、ここに留まろうと。
断るつもりでBMWジャパンに行ったら、
いきなり当時の浜脇洋二社長と会うことになったんです。

社長室に入ると、「おめでとう。一緒に頑張ろう」って
握手されるわけですよ(笑)。「えーっ!?」と思ってね。

そしたら人事部長からも
「浜脇さんが会ったセールスマンは君が初めてだよ」と言われて。
それで腹を決めました。ただ、入社の際に1つだけ条件があったんです。

――なんですか?

〈飯尾〉
それは「年間36台以上売れなかったら辞めてもらう」というものでした。

BMWを売ったこともないので、
やっていけるかどうかは分かりませんでしたが、
そこはもう、自分自身に対してのチャレンジでしたね。

――あえてリスクを背負われた。

〈飯尾〉
そうして1984年、34歳の時に、BMWジャパンに入社しました。
クビになるわけにはいきませんでしたから、
他の人の3倍ぐらい仕事をやるつもりでがむしゃらに取り組んでいきました。

毎日深夜零時頃まで仕事をし、
その日にやらなければならない仕事はやり切るように心掛けていました。
電車に乗っている時は、
降りる駅の出口に一番近い車両へ急いで移動するため、
電車の中をいつも走っていました。

限られた時間の中で、もっと営業をしたい。
そのために1分、1秒でも無駄にしたくなかったんです。

――そうやって他の営業マンと差をつけていかれた。

〈飯尾〉
あと、私は口下手ですし、喋りが苦手なんですよ。
だから、お客様がお話しすることをとにかく一所懸命聴きました。
お客様はみんな凄い人だと思える気持ちがあるので、
売ることよりも目の前のお客様に興味があったんです。

ですから、お客様と2時間話して買っていただけなくても、
それでいいと思っていました。
そこは私にとって一番大事なところで、
接客は売ろうとして売れるものではなくて、
無心になった時に売れるものだと気づいたのです。

――ああ、無心になる。

〈飯尾〉
「売ろう、売ろう」という思いが先行すると、
私自身ちゃんとした会話ができなくなるんです。
そうすると、お客様もそれを感じて、心をブロックしてしまう。

そうじゃなくて、まずお客様が時間を
つくってくださったことに対して感謝の気持ちを伝え、
とにかくお客様といろんな話をしながら自由な時間を楽しむ。
こちらが余裕を持っていると、
会話の中でお客様が先に本音を言ってくれるんですね。

本音が聴けた時に初めてこちらは動けるわけなので、
お客様から「この車はどんな感じですか」と聞かれるまで、
自分から商品の説明をしませんでした。
売ろうとしたら売れない。これは非常に大事なことだと思います。
2021/04/29

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