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おい、清次君。 かつて熊本に「伝説の教師」と謳われた 徳永康起という人物がいました。 子供たちと直接的な交わりを通して、 その魂の成長に深く関わりたいと思った徳永氏は、 自ら降格を願い出て、校長職から一教員に戻り、 子供たちの教育に生涯を捧げるのです。 (神渡) 教育者として命いっぱいに生きた徳永先生の魅力は、 その教え子たちとのエピソードから窺えます。 先生が熊本県の県境の分校に勤めていた頃、 運動場で馬乗りになって相手を殴ろうとしていた少年がいました。 徳永先生が慌てて止めに入り、引き離したその少年は、 皆から〝炭焼きの子〟と揶揄されていた柴藤清次君でした。 柴藤君の家は貧しく、家計を支えるために 隣の宮崎県まで木炭を馬に積んで運搬しているため、 ろくに学校に来ることができませんでした。 そのため成績が悪く、皆から馬鹿にされ、 仲間はずれにされていたので、 日頃の鬱屈が爆発して喧嘩に至ったのです。 徳永先生は泣きじゃくる柴藤君をなだめて言いました。 「おい、清次君。今夜宿直室に来い。親代わりに俺が抱いて寝よう」 それまで担任からも無視され続けてきた柴藤君は、 徳永先生が自分を「君」をつけて一人前の人間として扱い、 慈愛の心で包み込んでくれたことに驚きました。 それ以来、柴藤君はすっかり明るくなって成績も上がり、 皆に溶け込めるようになりました。 柴藤君はその後応召し、 終戦後にシベリア抑留の憂き目に遭いましたが、 絶望していた戦友たちを懸命に励まし、 世話に走り回り、無事生き延びました。 佐賀県伊万里市に復員した後、 就職した自動車学校では優良教官として表彰され、 よき伴侶にも恵まれて家庭を構えました。 一方、警察からどうしようもないワルとして見捨てられていた 不良少年たちを自宅に引き取って面倒を見ました。 その心の内には、「自分ですら立ち直ることができた」という思い。 そして、「炭焼きの子!」と馬鹿にされていた自分を導いてくれた 徳永先生への報恩の念があったのです。 そうした柴藤さんの善行を伊万里市青少年問題協議会が表彰し、 それがきっかけで恩師・徳永先生を探している 柴藤さんの投書が新聞に載り、 実に三十二年ぶりの対面が実現したのでした。 |
2021.04.06 |
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