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なぜあの場面で攻めに行かなかったのか 女子柔道が初めて公開競技として 採用された1988年のソウルオリンピック。 弱冠22歳にして、その大舞台で銅メダル獲得の快挙を 成し遂げたのが北田典子さん。 現役時代もさることながら、 引退後もコーチとして恵本裕子選手を 日本女子柔道史上初の金メダリストに育てるなど、 手腕を発揮されています。 〈北田〉 講道学舎では、「負けは死を意味する」という 暗黙の了解があるほど勝利に対する 強いこだわりを選手全員が持っていました。 といっても、敗北したこと自体で怒られることはありませんでした。 要は、「負け方」なんです。 勝っても勝ち方が悪ければ怒られましたし、 負けても勇気をもって一歩踏み込んだために 負けたのであれば、逆に褒められました。 ですから、技術的なこと以上に、 「なぜあの場面で攻めに行かなかったのか」といった精神面、 人間育成の根幹である人間力を教え込まれました。 〈三浦〉 ああ、技術以上に人間力を。 〈北田〉 話は少し逸れますが、 古賀稔彦が金メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪の時、 古賀は試合10日前に靭帯を痛めて 全治1か月の怪我を負ってしまいました。 おそらく、世間には「古賀はもうメダルを取れない」 という諦めの雰囲気が漂っていたと思います。 しかし、講道学舎の中では、 「これで条件は揃った。古賀は勝てる」 と皆が確信していたんです。 というのも、オリンピックの舞台はどんなに実力があっても、 0.1パーセントでも油断があれば勝てない世界です。 古賀の場合、技術面はこれまで培ってきたものがありますから、 最後の勝敗を分けるのは心です。 怪我をしたことによって緊張感が研ぎ澄まされますから、 「これで古賀は勝てる」とスタッフたちは確信しました。 試合前に祖父が古賀に掛けたのは、 「人間力で闘いなさい」 のひと言だけでした。 〈三浦〉 人間力で闘う。 〈北田〉 そして古賀も古賀ですごかったのは、 「自分は足が一本ないくらいで負けるような練習をしていない」 と腹が据わったこと。 見事、判定勝ちで金メダルを手にすることができました。 |
2021.04.01 |
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